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アジア写真帳(上海) : 田子坊(泰康路)

アジア写真帳(上海)


上海田子坊(泰康路)の陳瑞元ギャラリー

 今、上海での人気スポットとして注目されているのが、ここ田子坊です。上海のSOHO(ソーホー)などと呼ぶ人もいます。もともとは町工場と住宅が混在した里弄(リーロン)だったと言われていますが、1999年に陳逸飛(中国では有名な画家であり彫刻家でもある芸術家。映画の監督や脚本を書いたりもしている多才な人物。2005年に亡くなった。)がアトリエを開いたことから、以降、画廊やブティック、カフェ、レストランなどが集中し始めたものです。
 上の店は、中国での人気写真家、陳瑞元(CHEN RUI YUAN)の作品を展示・販売しているショップです。陳瑞元(CHEN RUI YUAN)の作品を取り扱う店は、田子坊の中にも数店ありますから、ぜひ、のぞいてみて下さい。素晴らしい作品が数多くあります。私も彼の写真を数枚買ってしまいました。

上海田子坊(泰康路)の入口

 田子坊の泰康路側の入口です。
 田子坊のエリアは、泰康路とも呼ばれていますが、写真にあるように、もともと田子坊は泰康路の210弄でした。「弄」というのは路地のことです。中国の番地は通りの名前に番号が付いていて、その通りから路地が出ている場合には、路地に番号が付くわけです。ですから、この路地にある建物は泰康路210弄の○○号という番地になっています。
 実際には、田子坊というエリアは日に日に増殖していて、田子坊だけでなく、周りの里弄にも広がってきています。南を泰康路、北を建国中路、西を瑞金二路、東を思南路に囲まれたエリアの全体に広がってしまいそうな勢いです。

上海田子坊を歩く人々

 田子坊〔泰康路〕を歩くと、いつもエネルギーをもらってしまいます。
 来るたびに増殖するエリア、常に新しい文化が生み出されているエリア、文化が坩堝(るつぼ)のように交じり合って無国籍な空間を生み出すエリア、そして、中国の、特に若い中国人の熱気が感じられるエリアが、まさに田子坊〔泰康路〕の魅力です。自分が元気なときは、アトリエや工房などを丹念に回って、インスピレーションをもらいます。ちょっと疲れ気味なときは、カフェに座って田子坊〔泰康路〕を歩く人たちをウォッチして、元気をもらいます。

上海田子坊(泰康路)エリア

 中国ビジネスに携わってきた日本人として、堅い話を一言言わせてもらえば、田子坊〔泰康路〕には日本が、そして日本人が失ってしまったバイタリティと進取の精神を感じます。そして、この街での成功(この街の発展)がこの街の自信につながっているのだと思います。
 例えばグローバル化です。日本人が最初に目指したグローバル化は専ら欧米を志向したグローバル化だったと思います。ここ田子坊〔泰康路〕のグローバル化は、欧米も東南アジアも、そして、日本や韓国も、およそ世界のすべての国や地域のそれぞれの良さを吸収していこうとする精神が感じられます。このページの写真を見ても分かるように、この街はまさに無国籍です。
 また、乱暴で身勝手な推論を続けさせていただくと、ここ田子坊〔泰康路〕からは中国人の逞しさや計算高い商業主義が、大いに感じられます。いずれも今の日本人の多くが失ってしまったものです。今年、GNPで日本が中国に抜かれる予定ですが、何故抜かれてしまうのか、日本人と中国人の違いを知らされてしまうのが、ここ田子坊〔泰康路〕なのです。



上海田子坊(泰康路)のアトリエ前の画家

 アトリエの前で作品を制作中の画家です。
 ここ田子坊〔泰康路〕は、もともとは芸術家の街としてアトリエや工房が集積し、上海のSOHOと言われていることは、既に書いた通りです。この店の軒先での制作風景などを見ると、まさにSOHOです。
 少し上で、この街には商業主義(コマーシャリズム)が感じられる旨を書きましたが、その一方で、田子坊に始めたアトリエを開いた陳逸飛の志は脈々と受け継がれ、中国人の新しい文化の創造もこの街を拠点としてすすめられています。

上海田子坊(泰康路)のアトリエの女性

 あるアトリエの入口です。
 そもそも中国の近年の歴史を振り返れば、中国人の大半を占める漢民族の視点で考えたときには、悲惨な歴史であったと言わざるを得ません。
 清の時代、これは満州族といわれる北の民族による漢民族支配でした。そして、清末の時代はアヘン戦争等を通じて、欧米列国に食い荒らされた時代でした。さらに、日本軍に蹂躙された第二次世界大戦の時代を経て、中国国内の共産党と国民党の内戦です。中華人民共和国が建国された後も、毛沢東による文化大革命で知識階級が糾弾され、文化や歴史が否定されてきました。そして、1990年代からの鄧小平の改革開放路線になって初めて自由が少し得られてきたわけですが、そこで中国人が気づいたのは、中国が周りの国々の発展から大きく遅れているという事実だったのです。
 中華民族は、世界の中心に位置しているから「中華」なのであり、その誇りの強さは日本人の我々が考えている比ではありません。

上海田子坊(泰康路)のアトリエ

 ですから、中国の人々は、特にこの20年間、中華民族の誇りを取り戻すために、世界から貪欲に知識や技術、文化を吸収し、ビジネスの面でも文化の面でも、世界に追いつき追い越そうとしてきたのです。
 ここ田子坊〔泰康路〕に陳逸飛がアトリエを開いたのが1999年。今私がこのページを書いているのが2010年ですから、わずか11年の間の田子坊〔泰康路〕の発展は、まさにその縮図だと思います。

 上の写真はあるアトリエですが、いかにも田子坊〔泰康路〕らしい風景です。
 絵画があり、写真があり、提灯があり、バイクがあり、自転車があり、英語があり、中国語があり、そして、エアコンの室外機があります。この混沌とした、何でも受け入れる受容力が田子坊〔泰康路〕の魅力なのだと私は思います。

 堅い話はこれくらいにして、ここからは、田子坊〔泰康路〕の魅力を紹介していきましょう。

上海田子坊(泰康路)のチベット芸術

 文化や芸術の話をしていましたので、まず、こんなショップから紹介しましょう。
 日経新聞で連載され人気沸騰して単行本にもなった高城のぶ子の『甘苦上海』で、田子坊のチベット芸術のお店が出てきますが、その題材になったのはこの店ではないかという感じがするショップです。『甘苦上海』ではチベット人が経営していることになっていましたが、私が行くと会うのは、漢族のあまり愛想の良くない女性です。どうぞ自由に見てくださいということなので、じっくりとチベット芸術を鑑賞させていただいています。


 雑貨店の興穆手工です。文房具の品揃えが良く、革の手帳やメモ帳などの品揃えが豊富です。また、田子坊の色々な場所をデザインしたマウスパッドも扱っていて、私も愛用しています。

中国語はそんなに難しくありません。
私の経験でも、英語よりはるかに早く話せるようになります。
初歩の中国語ができるだけでも、中国旅行が百倍楽しくなりますよ。



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上海田子坊(泰康路)のレストラン街
 
 この街には、カフェやレストランの類が無数にあります。欧米人はこういうところで、たむろするのが好きですね。赤レンガの街を欧米人が闊歩していたり、パラソルの下のカフェのテーフル席に欧米人が座っていたりしていると、もう、ここは上海であることを忘れてしまいそうです。

上海田子坊(泰康路)のレストランでの食事

 あるレストランです。もちろん、中国上海の田子坊〔泰康路〕です。


 この一帯は殆どが外国人なのですが、その外国人に混じってホスト役なのでしょうか、中国人の姿もちらほら見えます。彼らが流暢に英語やフランス語を駆使してホスト役を務めコミュニケーションしているところを見ると、日本人よりもよっぽど国際人だなあと感心してしまいます。


 こんなバーも昼間からやっています。ヨーロッパの人たちは、こういう止まり木形態のバーが好きなんですよね。

上海田子坊(泰康路)のタイ料理レストラン
 
 レストランは沢山あります。が、中華料理の店は少ないですね。イタリア料理やフランス料理、タイ料理やベトナム料理などのレストランが目に付きます。日本料理の店も数店あります。タイ料理のレストランが意外に多かったでしょうか。
 私はタイ料理が好きなのでタイ料理のレストランについつい入ってしまったのですが、本場の料理とは辛さが随分と違っていて、ちょっとがっかりしました。もっとも、ウェイターからは「うちの店の料理はあまり辛くしていません」とは言われていました。上海の人たちはあまり辛い料理は好まないので、その嗜好にあわせているとのことです。私には残念な味ですが、日本人の口にも合う味かも知れません。




上海田子坊(泰康路)のカフェ・バー街

 田子坊〔泰康路〕を歩いていると、時間を忘れてしまいそうなくらい歩きすぎてしまうことがあります。また、上海は蒸し暑い時期が長いので、街歩きをしていると結構一休みしたくなるものです。
 そんな時にカフェに立ち寄ります。カフェは田子坊〔泰康路〕では、至る所にあります。夜はバーになる店が殆どのようです。
 私がよく立ち寄るのは、上の写真の紫の看板のカフェで「角落 亜州」です。日本語で言えば、「辺鄙な場所 アジア」という意味になるのでしょうか。

上海田子坊(泰康路)のカフェ

 カフェ「角落 亜州」の店内です。オールド上海を感じさせる店内の装飾が気に入っていますし、スタッフもフレンドリーです。ここも夜はバーになるのでいつか来ようと思ってはいるのですが、いまだその機会に恵まれていません。

上海田子坊(泰康路)のカフェ内のオールド上海画

 カフェ「角落 亜州」の壁に飾られているオールド上海の雰囲気たっぷりの絵です。こういった絵に囲まれながら、上海のこと、中国のこと、日本のこと、自分のこと、過去のこと、未来のことなど、徒然に思いを巡らす、そんな時間を過ごすのが私の贅沢の一つです。

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上海田子坊(泰康路)の店舗

 田子坊〔泰康路〕はもともと里弄(りーろん)だったので、今でもその頃の入口がそのまま残っているところがあります。入口の壁にモップがかかっているところなんか、心憎い演出です。このように、里弄(りーろん)のままを、今後も残してもらったほうが、田子坊〔泰康路〕らしくて私は好きですね。


 郵便箱や住居表示などは里弄(りーろん)そのままです。華やかな田子坊〔泰康路〕に里弄(りーろん)の雰囲気が残されていて、嬉しくなってしまいます。


 この一角の混沌とした雰囲気、田子坊〔泰康路〕らしくていいですね。
 建物の間を渡した紐に吊り下げられた洗濯物、馬の顔をつけたマネキン、そして、店の看板、英語と中国語の案内、……。いかにも里弄(りーろん)を改造し、アーティストがショップを開いた田子坊〔泰康路〕ならではの風景です。

上海田子坊(泰康路)での墨絵実演

 手で墨絵を描く実演をしている女性です。手の指や手のひら、時には手の甲も使いながら墨絵を仕上げていきます。

上海田子坊(泰康路)の墨絵作品

 上の写真の女性が描いた墨絵です。制作しているその場で販売しています。中国の伝統的な文化も、この田子坊〔泰康路〕では、脈々と生きています。

上海田子坊(泰康路)のショップ

 仏具や香を中心に品揃えをしている雑貨屋さんです。雑貨屋は沢山あって、それこそ工房で作ったばかりの雑貨を売るショップなどもあります。新天地よりも低廉な価格で、しかもモダンで可愛らしいアクセサリーや雑貨を取り扱うショップはいろいろあります。
 上海の若者だけでなく外国人旅行客にも人気のエリアとなった田子坊〔泰康路〕ですから、ショップは大げさに言えば日に日に増殖しているような気がします。すなわち、隣接している里弄(りーろん)から住民を追い出し、改装して店舗を増やしているのです。これは商業主義というよりも、むしろ、ビジネスチャンスを逃さずタイムリーに投資するという「失敗を恐れない投資行動」と言うべきだと思います。まさに今、日本人が学ばなければならない行動スタイルかもしれません。


 こちらは、シルクやコットンの素材を活かした小物のショップです。色合いが綺麗なので、私の自宅で使っています。




 マグネットの店です。我が家でも冷蔵庫にメモを貼るのに使っています。
 ここで買うなら、上海の摩天楼よりも、やはり毛沢東のマグネットでしょうか。


 上海の地下鉄路線図も売られています。
 かなり大きいし、洗えるということなのですが、何に使うのでしょうか。家に飾るのかな?

上海田子坊(泰康路)の若者

 中国の若い人たちも、この田子坊〔泰康路〕を沢山訪れます。
 この街を見て、中国の発展、上海の発展を実感するとともに、自分たちの文化や世界の文化、そこから生まれる新しい文化を肌で感じるに違いありません。また、街全体にみなぎるバイタリティの中に、自分たち若い世代が目指す方向を感じ取る若者も少なくないのだと思います。
 一般的に、中国の学生は日本の学生とは比較にならないほど勉強しています。そうした日々の努力や志といった面で、日本の学生が中国の学生に大きく遅れをとっているなか、今後、日本と中国の経済の勢いの差はますます開いていってしまうに違いないと、私は危惧してしまいます。

上海田子坊(泰康路)での洗濯もの

 田子坊〔泰康路〕の一角では、上の写真のように里弄(リーロン)での生活そのままに洗濯物が干されています。洗濯物の下には、恐らくこの一帯の住民の所有だと思われるバイクが並んでいます。この日常性もまた、この街の魅力の一つです。


 日本食を出していたカフェレストランです。アウトドアで日本食を食べるのも田子坊風なのでしょうか。背後に観光客で込み合う狭い路地があるかと思うと、その横に立派な銀製品の店があったりします。
 この一角、何故か何度も通ってしまいます。迷路の中で私が目印にしている店です。


 そろそろ、田子坊〔泰康路〕の紹介を終わろうと思います。

 田子坊〔泰康路〕は里弄(リーロン)を改造した地域ですから、路地が複雑に入り組んでいます。行き止まりがあったり、ループしている道があったりします。そこで迷子にならないためのコツを二つ挙げておきます。
 一つは目印になる店を作ること。一つ上の写真で言えば、銀界という店がそれに当たります。もう一つは田子坊の外にある建物を目印にすることです。すぐ上の写真で言えば、背後に見える打浦橋方面に建つマンションが一つの目印です。


 最近は、田子坊〔泰康路〕に行く度に観光客が増えて胃ことを実感しています。カメラを持って写真を撮る人も増えてきました。それだけ絵になる街なのだと思います。田子坊〔泰康路〕を歩くときは、ガイドブックでお目当てのショップやレストランを目指して無駄なく観光するのではなく、気の向くまま足の向くまま歩き、田子坊らしい混沌とした空間を探した方が面白いと思います。
 田子坊〔泰康路〕は中国らしくはありませんが、私のお気に入りの街です。

上海田子坊(泰康路)で見た毛沢東肖像画

 田子坊〔泰康路〕の入口にあるギャラリーには、毛沢東さんの肖像画が陳列されていました。
 共産党支配・文化大革命を通じて、国民の自由を一定制限するなかで中国の平和と発展を推し進めてきた毛沢東さん。共産主義国とは思えないこの上海・田子坊〔泰康路〕の発展を見て、毛沢東さんは何を感じているのでしょうか。


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 私は、香港、台北、深圳や上海に仕事や旅行でたびたび行くことがあります。 そんな時に私が使っているのが「跨境王」というSIMカードです。私のように日本で買ったiPhoneをSIMロック解除していれば、SIMカードを入れ替えるだけで日本の携帯を現地でもすぐ使えるようになります。
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 中国聯通香港(チャイナユニコム香港)のSIMカードですから、中国にいるときもフェイスブック、TwitterやGoogleを利用できることも、このSIMカードの長所です。



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