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三国志の張飛の古井戸(張飛廟)



(桃園結義の舞台、楼桑村)



 涿州市の張飛廟の中には、張飛が肉を売っていたときに肉を冷やすために使っていた古井戸が残っています。張飛はもともとは涿県の出身ではありません。かつて鴻家の家来だった張飛が、再起を志しつつ、市場で肉を売りながら潜伏していた場所が涿県で、その頃、涿県の城内で肉を売って生計を立てていたのです。
 上の写真の東屋のところに古井戸はあります。


 張飛の古井戸です。勿論、今は使われていない井戸です。冷蔵庫のない時代、氷もない時代ですから、涼しい井戸の中に肉を入れて腐らせないようにしていたわけです。


 張飛廟の中には、建物の壁に色々な絵が描かれています。左の絵は市場で豚肉を売る張飛です。張飛は何となく肉屋には似合いますね。確かに、魚屋という感じではないでしょう。

 


 張飛廟にある桃園の誓いの像です。右から関羽、劉備、張飛です。桃園の契りを記念して建てられているのは三義宮ですが、桃園の誓いの彫像は三義宮ではなく張飛廟にあります。この背景の鉄塔が邪魔ですね。
 この張飛廟のある所は、三人が義兄弟の契りをした桃園からは3kmくらい離れていますが、わずか3kmですから殆ど近くであるともいえます。今から約1800年前に、この3人がこの場所で決起したわけです。


 上の写真では張飛の表情が見えないので張飛だけアップしました。さすが豪快な飲みっぷりです。
 張飛は酒を飲んで乱暴になることが多くて、それが張飛の弱点であり可愛いところでもあります。



 桃園の誓いの像の近くにあるこの搭は、「結義記念碑」(桃園の誓いの記念碑)と名づけられています。結義記念碑の台座の周りには、有名な場面のレリーフがあります。


 結義記念碑の台座の周りに彫られている「桃園の誓い」です。桃の花が咲く中で、三人が義兄弟の契りを交わしているところです。


 これは、諸葛亮を陸中の庵に訪ねた劉備、関羽、張飛の三人を描いています。有名な「三顧の礼」の場面です。
 この時、まだ無名で晴耕雨読の生活をしていた諸葛亮を劉備は三度訪ねているのですが、前の2回は諸葛亮は出かけていて留守番の童子に言付けすることしかできませんでした。このレリーフはその様子を描いたものでしょう。
 せっかちで短気な張飛が、この時イライラして文句を言っていたのも有名なエピソードです。

 


 これは。張飛と関羽が争っているのを劉備が間に入っておさめている絵です。
 三国志の中のどの場面なのか、ちょっと私には分かりません。ひょっとしたら、関羽が劉備の妻子を守るため曹操のもとで袁紹と戦った後、劉備の元に戻った時に、曹操軍の武将として戦った関羽を張飛が責めた場面でしょうか。

 この張飛廟には、張飛の名場面が色々描かれているのですが、何故か長坂の戦いで、張飛が川を背にして橋を切り落とし、曹操軍の追っ手を食い止めた場面がなかったような気がします。日本では長坂の戦いは張飛の名場面ですが、中国ではそれほどでもないのかも、などと考えながら見て回ると、新しい発見があるかもしれません。

三国志の劉備の故郷、桃園結義の「楼桑村」
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(桃園結義の舞台、楼桑村)