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三国志の張飛廟(張飛の古井戸)



(桃園結義の舞台、楼桑村)


 張飛廟は、桃園の誓い(桃園三結義)を記念して造られた楼桑村の三義宮から2~3km離れた所にあります。私は、白タクを借り切っていましたのですぐ着きましたが、歩いてもたいした距離ではありませんし、途中の標識も分かりやすいので道を間違えることはないと思います。
 さて、張飛は三国志の人気者の一人ですので、張飛廟というのも全国にいくつもあります。ここ涿州市(昔の涿県)の張飛廟はその一つです。張飛が劉備、関羽と桃園の誓いをするまで涿県で肉を売っていて、そのとき張飛が使っていた古い井戸が今も残っていますが、その井戸だけでは観光客を呼び込みにくいので、合わせて張飛を祀る廟を作ったのではないでしょうか。
 三義宮と合わせて、涿州市の観光の目玉になっています。


 入口近くにある張飛の像ですです。
 立派な像です。当たり前ですが、ここでは張飛が主役です。
 因みに、張飛廟への入場料は20元です。(2009年8月)




 張飛廟の中の雰囲気です。綺麗に整備されています。
 三義宮もそうですが、ここ張飛廟も観光客が少なく閑古鳥が鳴いています。その昔、ここの近くで三人の英雄が桃園の誓いをしたことは間違いないので、私としては、当時から時間は経っていますが、同じ空気を吸えるということはそんなに無駄ではないと思っています。涿州市楼桑村へは、北京からバスで1時間強で着きますので、行きやすいですよ。


  張飛廟に鎮座する張飛像です。高さ2メートルくらいある巨大な彫像です。張飛の像は赤ら顔のことが多いですね。


 張飛の家来たちの彫像も沢山あります。一番右が張苞です。
 三義宮にある彫像に比べると、張飛廟にある彫像は漫画チックな顔・体型ですね。



 張飛廟の敷地内には、張飛が肉屋時代に肉を冷やすために使っていた古井戸がありますが、それは別のページで紹介するとして、このページでは張飛廟のそれ以外の部分をご紹介しましょう。
 上の写真は三聖殿という建物の入口です。三聖殿には張飛に関する書画等が展示されています。三聖殿と対をなす形で三清殿という建物もあります。




 三聖殿にある絵を少し紹介しましょう。
 これは、劉備に賄賂をせがみそれに応じない劉備を陥れようとした督郵(地方の巡視官)を張飛が懲らしめている絵です。張飛の性格を語る三国志の有名なエピソードです。三義宮には、このエピソードの像があります。このくだりについては、三義宮のページで紹介していますので、そちらをご覧ください。


 この絵は、劉備が益州に攻め入ったとき、劉璋の配下として巴郡を守っていた厳顔を張飛が捕えたところです。
 張飛というと、血の気の多い無骨な一面や大酒飲みといった性格が強調されていますが、この厳顔を捕えた時は男としての心意気を感じさせます。というのも、捕えられ縄で縛られた厳顔が、「あなた方は無礼にも、わが州を侵略した。わが州に首を刎ねられる将軍はいても、降伏する将軍はいない。早く首を斬れ」と堂々と言い放ったことに感嘆し、厳顔の縄を自ら解いたというエピソードが残っているからです。以後、厳顔が劉備のために忠誠を尽くしたことは言うまでもありません。
 この絵は、まさに。「その者の縄を解け」と指示している張飛のように見えます。


 これは、張飛と馬超の一騎打ちの絵です。葭萌関の戦いです。この時、張飛と馬超の一騎打ちは三回行われたとされています。一回目は100合打ち合っても勝負がつかず、とうとう3回目は夜、松明(たいまつ)を勝負がつかなかったという戦いです。この葭萌関の戦いは、劉備が益州をあと一歩で取れるというところまで来た頃行われていますが、葭萌関の戦いにより、馬超が劉備に帰順したことを知った劉璋は、自ら益州を手放したといわれています。
 馬超の武勇はそのくらい聞こえていて、曹操も恐れていたとされています。

 張飛廟にある「張飛の古井戸」については、ページを変えてご紹介しましょう。

三国志の劉備の故郷、桃園結義の「楼桑村」
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