諸葛八卦村−諸葛の街並み |
「諸葛孔明の子孫が住む村、諸葛八卦村」トップページへ![]() |
諸葛八卦村には、明・清の時代の建物が、完璧な姿で200以上も残っています。明や清の時代の建物がこれだけの数で残っている村は、中国にもそれほど多くはないと思います。 建物は、いわゆる徽式(現在の安徽省あたりで発展した様式)の建物で、白壁と灰色の瓦、小さい窓、そして、高い塀が特長です。諸葛八卦村に入ると、突然、一面にこの徽式建物が広がり、タイムスリップしたような感覚に襲われます。 村の敷地自体がそれほど広いものではないので、建物は折り重なるように建てられています。 |
|
|
諸葛大獅が仕掛けたトリック |
![]() |
この村の特徴は、坂と迷路。とにかく道が分かりづらい。村全体が九宮八卦の陣のように構築されているなどと聞くと、中心から放射状の道路があって、いかにも整然と放射状の道路を繋ぐ路地があるように感じますが、実はとんでもなく、迷路仕立てになっています。これが、この村の設計者である諸葛大獅の「村の防衛性」を高めるための意図です。 |
![]() |
| とにかく坂道、階段が多くて、右に左に道が曲がります。ある道は行きどまりになっているし、ある道は行きどまりのように見えて実は曲がれる道がある。そして、くねくね曲がりながら歩いているうちに、方向を失ってしまうのです。 |
![]() |
坂、坂、そして、路地……。このあたりを歩いていた頃は、完全に方向を見失っていて、村の中央の鐘池に出れない状況でした。まさに、諸葛大獅のわなにかかったようなものです。 そこの女の子は、諸葛孔明から数えて何代目の子孫なんでしょうか? ひょっとしたら、私に道を教えようとして立っていたのかも知れませんね。 |
![]() |
諸葛の典型的な街並みです。 道幅はこんな広さで、塀が高いので、圧迫感があります。諸葛の名の付いた提灯と、正面の九宮八卦陣の図が、さらに諸葛らしさを演出してくれます。 上の写真は、鐘池を探して歩いていて撮ったものですが、行き止まりのように見えています。後日、再度、諸葛八卦村に来たときに分かったのですが、これこそ、諸葛八卦村が、外敵から村を守ろうとする罠だったのです。 実は、正面は鐘池なのです。このからくりは、鐘池のページで解説します。このページを見れば、諸葛大獅のトリックの一つに出会うことができます。 |
![]() |
| この道は何の変哲もない緩やかなカーブですが、ちょっと考えてみてください。このカーブが前方に死角を作っているのです。ですから外部から賊が入り込み逃げている時に、この死角の先で待ち伏せれば賊を討つことができるのです。 諸葛大獅の「村の防衛性を第一に考えたデザイン」には頭が下がります。 |
|
|
建物は典型的な徽式様式 |
![]() |
これは、鐘池の近くの住宅ですが、典型的な徽式様式です。白壁、灰色の瓦、小さい窓、高い塀。中国人の書いた本によると、「このあたりの気候は、夏が暑く、冬は寒い。また、雨や曇りの日が多い。そこで、住宅は四方に建物を連ね、中央に小さな庭がある。この構造は、通気性に優れ、厚さ、寒さを防ぐことができる」としています。 |
![]() |
そして、高い塀や壁は、家が接近して建てられているため、火災の延焼を防ぐことを目的としているようです。ただ、高い塀を直線的に作るのではなく、高さに変化をつけ、波打つように作っているのが、徽式様式の美しさです。 |
![]() |
高台から諸葛八卦村を見下ろすと、建物が折り重なるように建っています。何となく、まとまりがないようで、実は、塀や壁のラインが縦横に交錯して、やっぱり綺麗だな、なんて感じてしまいます。 しかし、これだけ家が密集していると、さすがに高い塀を作って、火事の時の類焼を避けたいという気持ちになりますね。 |
![]() |
この家は白壁に灰色の瓦ということで、色は合わせていますが、新しい家ですから、窓が大きいですね。 奥や右側に見える家とあわせて考えると、この三軒の間に中庭があるのかもしれません。 |
![]() |
地元のおばさんたちが、何やらお話をしています。こんな風に、古鎮の中でも地元の方は生活しているわけですから、プライバシーの問題などに気をつけながら、古鎮を回りましょう。 |
「諸葛八卦村−諸葛孔明の子孫が住む村」の トップページはこちらです |
諸葛八卦村トップページ
諸葛八卦村とは
諸葛八卦村への行き方
孔明を祀る丞相祠堂
誡子書がある大公堂
民居(四十八代宗主との対面)
村の中心、鍾池とその周辺
諸葛八卦村の街並み
古商業街
漢方薬の天一堂
諸葛八卦村の食堂で昼食
三国志関連のページ
三国赤壁古戦場
成都と武候祠
劉備の故郷
桃園結義の楼桑村
アジア写真帳(揚州)