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アジア写真帳(周荘) : 周荘古鎮

アジア写真帳(周荘)


 上の写真は周荘(周庄)古鎮入口の碑坊です。碑坊は村や街の入口に、その地域の発展に大きな足跡を残した人を称えて建てられるものです。碑坊があるとそこから村や街が始まるのです。
 周荘古鎮の碑坊は、古鎮の入口でありここから先の古鎮に入るためのチケットをチェックする場所でもあります。チケットセンター(售票中心)は碑坊の手前横にあります。2010年5月現在、入場料は80元です。


 周荘(周庄)は上海、蘇州、杭州の間に位置している水郷古鎮で、歴史に周荘の名が初めて記されたのは1086年、まだ北宋の時代です。四方を水に囲まれ、目と鼻の先の場所へでも舟で移動しなければならず、河には舟がひしめき合っていたといわれています。古鎮の中も縦横に水路が走り、その水路を渡る橋が数多く造られています。水路に面して邸宅や倉庫が建ち並び、邸宅は水路から奥へと広がっています。
 周荘古鎮は、陸上交通を主とする現代では不便な場所に位置しているため、開発から取り残されましたが、その結果、かつての街並みがそのまま保存され、いわゆる典型的な江南水郷のたたずまいを残しています。ユネスコの世界文化遺産にも登録されていて、その保存状態から「江南第一の水郷」と言われています。


 江南の水郷古鎮には、私も烏鎮、西塘、同里など、いくつも訪問しています。その中では、最も観光客が多いのは、この周荘と烏鎮ではないかと思います。周荘も烏鎮も西塘も、それぞれが十分な広さを持っていて、水郷古鎮の雰囲気は良い感じなのですが、やはり上海からの交通の便の違いもあって、周荘と烏鎮は観光客が多いのが現状です。それだけに、水郷古鎮が持つ素朴さや静けさといったものを周荘や烏鎮で味わおうとすると、団体客がいない朝や夕刻に限られてしまいます。比較的観光客が少ない西塘でさえ、それなりに観光客は多いのです。これらの水郷古鎮は、せっかく保存状態の良い水郷古鎮なのに、昼間だけですと騒々しい人込みを味わうだけになってしまうのが残念です。




 沈万三の子孫が住んでいた沈亭の近くの風景です。富安橋から見たところです。舟が沢山泊まっているところに周荘の水郷遊覧船乗り場があって、その向かいに沈亭の埠頭があります。
 周荘の風景の素晴らしさというのは、こうした運河と船、そして、運河沿いの建物が、かつての水郷の街そのままに保存されているところにあると私は思います。


 富安橋近くの梯雲橋から西方面を見たところです。運河の水に映る建物の影が美しいところです。
 こういった狭い運河も小舟が通れる幅になっています。と言うか、小船を通すために運河を造っているのですから当然とも言えます。蘇州や楊州、杭州、紹興といった周辺の街に行くにも、また、周荘の街中を移動するにも、当時は小舟が主たる交通手段だったのです。


 周荘の地図です。雨風にさらされてちょっと見づらいのですが、かなり細かく正確に書いてありますので、役に立つはずです。写真の地図やここをクリックすると、別ウインドウで大きな地図が開きますので、地図を参照しながらご覧ください。


 昼間、周荘古鎮を歩くと、次から次へと小舟が通ります。小舟が通る運河の姿は水郷という名にふさわしいもので、周荘らしい風景です。また、舟から見る水郷の街も、変化に富んだ印象深いものなので、ぜひ小舟にも乗られることをおすすめします。
 貸切の船もあれば乗り合いの船もあります。乗り合いでも一人100元取られてしまうのはちょっと高いですが、需要と供給の関係なので仕方ないですかね。


 次々と通り抜ける小舟、遠くに見える橋。そして、それぞれの家にある小さな埠頭兼洗い場。まさに、周荘らしい風景です。ちょっと霞んだ水郷古鎮の風景が、私は好きです。富安橋近くの風景です。
 江南地域は雨が多い地域で、たまたま水郷を訪れた碑に雨が降るかもしれませんが、雨が降ったら降ったで、雨に煙る水郷の街は魅力的なものです。最も良いのは朝靄の水郷です。私は水郷に行くときはできるだけその古鎮で1泊します。それは、朝靄に霞む水郷の素晴らしさを知っているからです。それに朝は観光客も少ないので、その魅力的な風景を独り占めにできる贅沢が味わえるからです。


 太平橋付近の風景です。
 船頭の女性は、元気が良く社交的な人が多いようです。岸辺から手を振ってもそれに答えてくれますし、いつも笑顔で船を操っています。
 私の友人は中国語が全く話せないのですが、周荘の小舟に乗っている間中、船頭から中国語で話しかけられたと言います。質問されているのかどうかは顔つきで分かるけど、何を質問されているのかさっぱり分からなかった。「私は日本人です。中国語は話せません」くらいは話せるようにしておくべきだったなどと言っていましたが、相手はそんなこと聞かなくても分かっているのですから、そんな言葉話せなくても関係ないと私は答えています。船頭の女性は、そんな一方通行の会話であっても、終始にこやかに話してくれていたのですから気にすることはありません。

 

 とかく中国では、観光地であっても中国語が話せない観光客を邪魔者扱いのようにする傾向が見られるのですが、ここ周荘の人たちには、そんな傾向は見られませんでした。
 私の場合、中国語で日常会話くらいはするのですが、ちょっと複雑な話になるとうまく通じないこともよくあります。そんな時、一生懸命に私の話の意味を理解しようと、聞き直してくれたり簡単な言い回しで聞いてくれたり、少なくとも私の場合はフレンドリーに接してくれた人ばかりだったという印象があります。
 ひょっとして観光業はサービス業だということを意識している人が多いのかもしれません。




 周荘博物館近くの運河に沿った柳の並木道です。この辺りは小舟の停泊場所になっています。昼間でも観光客が少ない地域ですが、古鎮の雰囲気を感じさせる良い場所です。


 双橋の平型の橋から東に延びる水路です。上の写真のような狭い運河も舟が通ります。でも、さすがに遊覧船はこうした狭い運河は通ってくれません。私は豆腐花の字につられてこの路地に入ったのですが、こういった狭い道と運河に昔の周荘の姿を見るような気がします。


 周荘の街をゆっくりとゆったりと回ってくれる小舟。小舟で一周して周荘の街全体の雰囲気を見たうえで、特に気に入ったエリアを自分の足で回ってみるということも良いかも知れません。


 沈亭とは運河をはさんで反対側にある乗合船の乗場にある案内です。左が8時から18時までの昼間用、右の説明が18時から21時までの夕方用です。料金はいずれも一人100元です。昼と夜とでは回るコースが違います。


 さて、小舟の話はこのくらいにして、今度は橋の話に移りましょう。河や運河の多い周荘ですから、当然、それらを渡る橋も沢山あります。周荘で最も有名な橋は上の写真の双橋です。アーチ型の世徳橋と平型の永安橋を合わせて、双橋と呼んでいます。地元の人はその形に因んで鍵橋と呼んでいるそうです。
 ともに明の万歴年間(1573〜1619年)に建造された橋で、その後何回かの修復を経て今日に至っています。形の異なる二つの橋がセットになっているのは珍しい光景で、周荘の観光ポイントです。


 福洪橋です。今の福洪橋は清の康熙年間に造られたもので、長さは16.4mあります。橋の真ん中に左右対称の紋があるのが特徴です。
 福洪橋は福紅橋と言われることもあります。実は中国語では「洪」と「紅」の発音が近いので、福洪橋の別名として福紅橋という名があるということになります。この別名には太平天国時代の話が由来しています。
 太平天国は農民を中心として清に対して武装蜂起した革命で、一時は南京に政府を開きましたが、清軍の攻撃により南京も陥落してしまいます。その後、太平天国の大勢の敗残兵が周荘に逃れてきたときに、当時の地主が清政府と結託して、デマを流しながら太平天国軍の敗残兵をこの福洪橋に追い詰め、この橋の上で何百人もの兵士を虐殺してしまいました。その時流された兵士の鮮血で橋は赤く染まったとされています。この戦いで命を落とした太平天国軍の兵士たちの壮烈な死を称えて、福紅橋とも呼ぶようになったといわれています。
 太平天国は農民を中心として清に対して武装蜂起した革命軍なので、同じ農民による革命ということで、中国共産党からは近年特に評価が見直されてきています。




 周荘の商店街には、観光客をターゲットにした店がたくさん軒を連ねています。地元の人を対象にした店もありますが、地元の人を対象にした店が多い西塘のような生活を感じさせる商店街ではないところは残念です。でも、観光客向けの店と言っても、全般的に店の人はガツガツしていないので、ゆっくりとショッピングを楽しむことはできます。
 上の写真は張庁付近の商店街です。私はこの商店街で宜興の紫砂陶器を買いました。宜興の紫砂陶器は、お茶の渋みやあくを抜き、茶をまろやかにしてくれます。ちょっと高いと思われるかもしれませんけれども、確かにそれだけの価値はある陶器です。さて、ここで買い物をする際の注意点です。私の場合、宜興の紫砂陶器を185元の値札から55元まで値切ることができました。観光客向けのお店ですから相場からは相当に離れた値札が付けられています。それを承知したうえで値切り交渉をするのが周荘での買い物のコツです。


 古鎮の入口から太平橋に行く途中の風景です。昔ながらの水郷の街の商店街という雰囲気がよく出ています。「過街楼」といわれる路地の両側にまたがる二つの建物をつなぐ二階部分の廊下や、敷石が不揃いなところが古鎮らしいところです。


 商店街は、できるだけ古鎮の雰囲気を壊さないように造られています。左の喫茶店や右の商店などはまさに観光客向けなのですが、一見すると地元の人向けの造りです。こんな風にポツポツと店がある方が古鎮の雰囲気を感じさせてくれますね。


 路地の奥深くにある木彫りの専門店です。木彫りも周荘の土産品の一つです。木彫りの店のいくつかでは店先や店の中で実際に木彫りを作っている様子を見ることができます。
 上の写真のように奥まったところにある小さな店は、いかにも古鎮での雰囲気を味わいながら買い物ができる店です。このあたりの住宅地の雰囲気も私は好きなんです。

 

 逆さになった「福」の字が付いている建物なんか見ると、中国に来たと言う感じがしますね。


 周荘古鎮は、運河を通る小舟を見たり、橋を巡ったり、商店街をぶらついたり、何をしていても時代をタイムスリップしたような感覚を楽しめます。でも、周荘でのタイムスリップ感覚を最も味わえるのは、観光客が最も少なくなる朝です。
 上の写真は周荘の朝です。四方を水に囲まれ、街を川が縦横に走る周荘では、朝まだ観光客が出てこない時間が最も美しくなる時間だと私は思っています。上の写真のように朝靄の中の周荘はまさに幻想的です。
 周荘に来たら、ぜひ朝の周荘も味わえるように周荘で1泊されることをおすすめします。


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