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諸葛八卦村とは

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 諸葛八卦村は浙江省蘭渓市の中心部から、西に17km離れた所に所在しています。現在、諸葛八卦村には約4,000人の住民がいますが、その80%が諸葛姓だと言われています。諸葛孔明の子孫が住む村としては、中国最大の村です。
 諸葛八卦村というと、諸葛孔明の子孫が隠れ住む村だと思われたり、謎の多い村として知られたりいることから、大変な山奥にありそうな印象を与えますが、成田などからの直行便がある杭州からなら、日帰りで十分行ける距離です。また、上海からでも中国新幹線和諧号に乗れば何とか日帰りすることも可能です。が、ゆったりと諸葛八卦村を見学するなら、杭州か蘭渓市のあたりで1泊することをおすすめします。

 さて、諸葛八卦村は村全体が九宮八卦の陣のように配置されていることや、200を超える明・清時代の建物が完璧な形で残されていることなどから、1996年11月に国務院の全国重点文物保護単位に指定されるとともに、国の「AAAA級観光地」にも指定されています。


 まず、諸葛八卦村の歴史をひも解いてみましょう。

 諸葛孔明が五丈原で魏の司馬懿と長期に渡って対陣し、54歳で陣中に没したのが西暦234年。その後、西暦280年に、司馬懿の孫の司馬炎が中国を統一(西晋)しましたが、諸葛亮の孫である諸葛京はその西晋に仕え、江州刺史にまでなっています。
 諸葛亮の子孫は蜀の滅亡までに、子の諸葛瞻や孫の諸葛尚が戦死していますが、当時、年少であった諸葛京(諸葛瞻の子)は移住させられたものの、命までは奪われなかったとされています。その後、諸葛京の子孫は、晋、隋、唐の各朝に仕えています。
 諸葛亮から数えて14代目の宗主、諸葛利は中原での戦乱を避けるため、山陽(今の紹興)で官職を探し、寿昌県令に任じられました(西暦952年)。以後、彼の子孫は今の浙江省に住み続けています。諸葛八卦村の諸葛氏は「浙江諸葛氏」と言われますが、浙江諸葛氏は、この諸葛利を始祖としています。



 この諸葛一族の系譜は、大公堂に貼られた系譜で知ることができますが、諸葛亮の父である諸葛珪から、現在既に誕生している第55世(諸葛亮から数えると、第54世)まで記載されています。諸葛珪の子として、呉の孫権に仕えていた諸葛瑾の名や諸葛亮(諸葛孔明)の名などを見ることができます。
 話が横道にそれてしまいました。さて、ご紹介する諸葛八卦村の地に、諸葛一族が住み始めたのは、西暦1340年前後と言われています。(恐らく、それまでは、浙江諸葛氏は浙江省の寿昌か、その近辺に住んでいたものと思われます。)27代宗主の諸葛大獅の時代です。1340年というと、元朝の中・後期にあたります。諸葛大獅は建築の専門知識に明るく、子孫を発展させるために、今の諸葛八卦村の土地を買い取り、村の構造(都市計画)を綿密に定めたうえで、諸葛一族の村づくりを開始しました。
 ここに諸葛一族の村、諸葛八卦村が誕生したわけです。


クリックすると大きな地図が別ウインドウで開きます。

 上の写真は諸葛八卦村の地図です。村の構造がよく分かりますので、この地図で諸葛八卦村の特長を説明しましょう。
 村全体が九宮八卦の陣のように構築され、鐘池を中心にして八本の小道が放射状に外側へ向かって延びています。これが俗に言う内八卦です。外は八つの小山が、村を外界から隔離し、これがいわゆる外八卦と言われています。




 上の写真が鐘池です。因みに、村の中心に位置している鐘池は、陰陽魚太極図の形をしています。
 少し、この陰陽魚太極図について説明しますと、白い部分と黒い部分は、よくよく見ると魚のように見えますが、魚の尾から頭に向かって幅が広がっているのは、それぞれの気が生まれ、徐々に盛んになっていく様子を表しているとされています。
 森羅万象が陽(白い部分)と陰(黒い部分)の要素によって成り立っているという考え方で、陰が極まれば陽に変じ、陽が極まれば陰に変じるということを意味しています。太極図は、これが永遠に繰り返されることを表しています。
 すなわち、この村を設計した諸葛大獅としては、陰陽魚太極図の形をした鐘池を村の中心に据えることにより、陰と陽を繰り返し、言い換えれば、陰と陽が互いに補い合って、村の運気を上昇させ、村を発展させたいという考えがあったのではないでしょうか。


 また、上の地図をご覧ください。
 鐘池から放射線状に伸びた8本の小道は、整然と路地で結ばれているのではなく、ある所は結ばれ、ある所は結ばれていないといった形で、初めて訪れた人には、大変分かりづらい構造となっています。外敵が入ってきても、鐘池で取り囲むことができますし、鐘池から逃がしても、行き止まりの道に追い込むことが可能な構造になっているわけで、防衛性の高い設計となっています。
 上の写真は、鍾池の前です。初めてこの村に来た人なら、誰が見ても行き止まりに見えると思います。私も、だまされて、道を戻ってしまいました。


 さらにもう一つ、諸葛八卦村の特徴を言うと、これは地図からは分からないのですが、その地形にあります。諸葛八卦村は、街道から見ると台地の中にある盆地のような地形に位置しています。ですから、村の中の道も、上の写真のように起伏に富んだものになっています。道は整然と作られず、しかも、起伏だらけということで、確かに方向感覚を失わせる設計になっています。私は方向音痴ではなく、方向感は鋭い方ですが、それでも初めてこの諸葛八卦村を訪問したときは、全く方向を失ってしまいました。まさに、諸葛大獅の術中にはめられた感じです。
 この独特な地形を見た諸葛大獅は、一族を住まわせる場所はここ以外にないと決めて、土地を買い、村を設計したといわれています。諸葛?は中原での戦乱を避けるため浙江省に移り、諸葛大獅も戦乱を避けるため、隠蔽性のあるこの地に村を建設したわけです。




 村を建設して600年を越えた今、当時の姿そのまま維持されてきたわけですが、
このような隠蔽性と防衛性を兼ねた設計により、村は戦乱から守られてきたわけです。例えば、日本軍が侵攻してきた時も、村の近くの街道を日本軍が通ったそうですが、諸葛村を発見できなかったと言われていますし、北伐時期に国民革命軍が諸葛村の近くで3日間激戦を繰り広げたそうですが、諸葛村には戦乱の被害は及んでいません。まさに、設計者の意図通り、一族の生活を戦乱から守ってきたわけです。
 隆中で「天下三分の計」を披露し、三顧の礼をもって劉備玄徳に迎えられた諸葛孔明。その子孫は、一族の知恵と努力で、それから1800年以上経った今でも、まさに幸せな生活を営んでいるわけです。


 諸葛八卦村の構造は諸葛大獅が村を建設して以来、600年以上もの間、維持されてきているのですが、中国では、これだけの数の民家が当時の状態のまま保存されていることは本当に稀です。
 その一つの理由は、既に書いた通り「隠蔽性と防衛性を兼ねた設計」にありますが、もう一つの理由は、「諸葛一族の誇りを自覚させ、祖先が残した理念と設計を尊重させた意識付け」にあったと言われています。


 すなわち、中国史上最も優れていたとされる丞相、諸葛亮孔明が先祖であるという誇りを植えつけるため、丞相祠堂大公堂という諸葛亮孔明の祖廟や記念堂を建立するとともに、4月14日(諸葛亮孔明が生まれた日)と8月28日(諸葛亮孔明が逝去した日)に大祭を催すなど、一族としての結束を高める運営をしてきています。
 そして、諸葛大獅による村の設計を守り続けることで、諸葛一族のさらなる繁栄と発展が期待できるのだとの意識が、600年以上もの間、村の配置を全く変えないという奇跡を生んだと言われています。

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 諸葛八卦村には、明・清の時代の建物が、完璧な姿で200以上も残っています。
 建物は、いわゆる徽式(現在の安徽省あたりで多い様式)の建物で、白壁と灰色の瓦、そして、小さい窓が特長です。諸葛八卦村に入ると、突然、一面にこの徽式建物が広がり、タイムスリップしたような感覚に襲われます。
 村の敷地自体がそれほど広いものではないので、建物は折り重なるように建てられています。



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 但し、中国の人が実際に現地に行って記載したものを日本語に翻訳しているので、交通の利便性についての感覚や、食事やホテル等への評価などは、日本人の感覚と多少異なりますので、そのあたりを十分に勘案した方が良いと思います。

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 上の写真は、古商業街です。
 諸葛一族には、「不為良相、便為良医(良き宰相とならずんば、良き医者たれ)」という句が伝わっているそうで、名医や薬屋を数多く輩出しています。一説によると、諸葛村の男性の半数が、製造・販売など薬関係の職業に従事しており、4代以上にわたって薬屋を経営している世帯が17もあるとされています。天一堂という中国内に数多くの支店を持つ薬屋も、この諸葛から生まれています。
 薬屋ばかりではなかったでしょうが、諸葛一族は、明や清の時代から裕福な世帯が多く、諸葛八卦村の建物の水準が高いのも、こうした豊かさに起因しているものと考えられます。
 なお、諸葛八卦村が最も隆盛を極めたのは、明の嘉靖年間ですから、16世紀前半です。この頃は1,000戸近い大規模な村落になったようですが、その頃建てられた住宅も、現在残っているわけです。


 古商業街での茶店の前です。
 諸葛八卦村の人口は約4,000人で、そのうちの80%が諸葛姓だと聞いています。こうしてくつろいでいる人も、5人に4人は諸葛姓だということになります。何かのんびりした風景ですけど、彼らは蜀の丞相、諸葛亮孔明の末裔です。そう思うと、嬉しいような、拍子抜けするような、そんな不思議な感覚です。


 今回初めて諸葛村を回ってみて、西塘や烏鎮などの水郷古鎮とは違った意味で、古鎮の魅力を堪能することができました。村の設計思想を実感し、また、村全体が明・清の時代そのままに保存されていることに感動しましたし、国家AAAA級観光地となっていることにも頷けます。
 私が行った日は、あいにく台風が付近を通過している日で、大雨という最悪の状態でしたので、観光客は殆どいない状態でした。道を歩く人も殆どいないような状態で、傘をさしながらカメラを構えるという不自由な行動を余儀なくされましたが、逆に、本当に静かな古鎮を歩くことができました。


 諸葛八卦村へのアクセスは、上海からですと日帰りは不可能な場所にありますので、あまり良いとは言えません。とは言え、諸葛八卦村も、さすがに観光地としての人気は高まってきているようですから、この村の良さを楽しみたい方は、もっともっと観光客が増えてしまう前に、今のうちに計画されたらいかがでしょうか。観光客だらけになったら、諸葛一族の村とはいっても、風情がなくなってしまいますよね。
 私も、今度は天気の良い日に諸葛八卦村にまた行きたいと思っています。
 このホームページでは、村内の各観光スポットを紹介しています。また、諸葛八卦村への行き方も紹介しています。皆さんも、三国志のファン、諸葛孔明のファンでしたら、諸葛八卦村への旅行を、ぜひ検討してみてください。きっと皆さんの期待を裏切ることはない村だと思います。
 上の写真は、諸葛のバス停前に立っている諸葛亮孔明の像です。諸葛亮孔明も、子孫の繁栄を多くの人々に見てもらいたいと思っているはずです。

 
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