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天安門広場

(1998年11月29日以来)

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天安門広場Tiananmen


 北京は観光地として見所が多いのですが、北京に行った方なら必ず行っているという場所と言えば、天安門広場と故宮でしょう。
 上の写真が天安門です。天安門は明の永楽15年(1417年)に建てられ、承天門と名付けられました。その後、明末期に焼失し、清の順治8年(1651年)に改築された際に、現在のように拡大されるとともに、天安門という名に改称されました。
 明や清の時代から皇帝即位など重要な国事の際は、この場所で詔書を発布していましたが、今の天安門を価値あるものとしているのは、1949年10月1日、毛沢東がこの門上で中華人民共和国の建国宣言をしたことだと思います。以来、天安門は中国のシンボル的存在になっていて、全国の中国人が北京に来てはこの天安門詣でをします。外国人観光客も多いのですが、それ以上に中国人観光客が多いのが北京、特に天安門広場の特徴です。


 天安門には、中央に巨大な毛沢東の肖像画が掲げられ、その両側に「中華人民共和国万歳」「世界人民大団結万歳」という中国のスローガンが大書きされています。香港に住んでいた私としては、中国の中に身を置くことは日常性の一部であって慣れっこになっているのですが、ここに来ると、中華人民共和国なんだなあとしみじみ感じます。香港や広州などの華南エリア、上海などの江南エリアなどでは感じられない、ある種の緊張感というか何と言うのか分かりませんが、何かしら違うものを感じます。


 手前に見える碑が人民英雄紀念碑です。中国共産党の英雄を記念するために1958年に建てられた巨大な石碑です。石碑には毛沢東により「人民英雄永垂不朽」(人民の英雄は永遠に不朽だ)と刻まれています。


 人民大会堂です。全人代(全国人民代表大会)や中国共産党の総会などが開催される場所です。全人代は、1万人規模の参加者がありますが、この人民大会堂にはそれらを収容できる広い会議室があります。人口が多い国ですから、会議も大勢の参加者が必要になるのですね。


 天安門広場でもう一つ中国人観光客の必須訪問ポイントがここ、毛主席記念堂です。毛主席記念堂は、毛沢東の死後直ちに、次の主席である華国鋒によって建設が決定されました。
 朝9時前だというのに、とにかくひどい混雑振りで、私たちは入場を諦め、外から建物を眺めるだけにしました。というのも、毛主席記念堂には防腐処理をした毛沢東の遺体を観覧できるようになっているからです。建国の父、毛沢東の遺体を拝み、献花してくることが、中国の人にとっては大きな北京土産になるのです。




 毛主席記念堂の前にある彫像です。
 この天安門広場は、毛沢東が1949年10月に中華人民共和国の建国宣言をした天安門、革命のために命を捧げた人民英雄紀念碑、そして、毛沢東の遺体が安置されている毛主席記念堂といった具合に、中華人民共和国の建国に関わりの深い建造物が多く、極めて政治的な場所であるともいえます。
 中華人民共和国の政治手法については功罪ありますし、社会主義なのに貧富の差が拡大するなど課題も多く抱えています。しかしながら、一方では10億を越す国民が生きていける(食べていける)社会を作ってきたということ、また、まさに大国としての国力を備えてきたことなど、中国共産党が果たしてきた役割は、私たち日本人が考えている以上に、中国人には評価されています。
 天安門広場は、中華人民共和国という国の誇りとそれを築いてきた英雄を称える中華人民共和国の聖地なのだと思います。


 それだけに、1989年6月4日に発生した第二次天安門事件(六四事件)は、その舞台が天安門広場だったということ自体が、大きな意味を持っていました。
 第二次天安門事件(六四事件)は、言論の自由化等民主化を進めようとしていた胡耀邦の死をきっかけに、天安門広場を中心に集結して民主化要求をしていた学生等に対して、中国共産党首脳部の指示によって、人民解放軍の部隊が投入された事件です。人民解放軍は中国共産党首脳部の命令に基づき、市街地で争乱を繰り返す民衆に対して無差別に発砲したり、装甲車で市民を轢き殺すなどしたりして、多数の民間人を死傷させました。
 当時の軍部を掌握していたのが鄧小平でした。最終的に人民解放軍の投入を決断したのも、鄧小平だと言われています。私のように中国華南地区にいた者にとって、鄧小平は中国の改革・解放のシンボル的存在であり、彼が軍部を動かし民衆に対して無差別に発砲するなどということは考えづらいことなのですが、なるほど、中国共産党の指導性を揺るがす動き、言い換えれば、中国共産党への敵対行為に対しては、厳しい態度で臨まざるを得なかったのでしょう。


 さて、上の写真の通り、天安門広場は、天安門から正陽門まで南北880m、人民大会堂から国家博物館まで東西500m、総面積40万㎡の世界最大の広場で、長安街(天安門と天安門広場の間の通り)も含めて100万人が収容できると言われています。ここに、民主化を要求する学生を中心とした民衆が集まり、そこを装甲車が走り回って発砲もされていたわけです。このページの上の方で、10億を越す国民が生きていける(食べていける)社会を作ってきたことや、まさに大国としての国力を備えてきたことなど、中国共産党の成果を一定評価した私ですが、今後は民主化、しかも流血のない民主化を強く望まないわけにはいきません。

 興味のある方は、第二次天安門事件(六四事件)をテーマにした中国の小説を読んでみるのも良いかもしれません。裏切りの夏(虹影作)や革命寸前(沈〔丹彡〕作)などが良いと思います。中国現代小説については、「中国現代小説勝手格付け」の中で、多数紹介しています。


アジア写真帳(北京)