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アユタヤのワット・チャイ・ワッタラナーム

 

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 ワット・プラシーサンペットの概要

アユタヤのワット・プラシーサンペット

 アユタヤ観光のハイライトの一つは、ここ、ワット・プラシーサンペットです。3塔のセイロン様式の仏塔がとても印象的です。おそらくこの仏塔も、バンコクのワット・プラ・ケオの仏塔と同じく、金箔が施されていたものと考えられますが、ビルマ軍の略奪やその後の荒廃により、今は見る影もありません。

ワット・プラシーサンペット


 アユタヤは、14世紀頃から約400年間、統一王朝として繁栄したアユタヤ王朝の遺跡です。ここまで来ると、さすがにバンコクの雑踏からは全く無縁の静けさを味わうことができます。石とレンガの廃墟アユタヤは、現代的で原色の街バンコクとは打って変わって、静かで物思いにふけることのできる街なのです。

ワット・プラシーサンペット

 ワット・プラシーサンペットは、ワット(寺)という名がついていることでも分かるように、寺院です。
 ワット・プラシーサンペットはバンコク王朝におけるエメラルド寺院のような存在で、1448年に建立された以降はここで宮中儀式が執り行われるなど、アユタヤ王朝で最も重要な寺院の一つで、アユタヤ最大規模の寺院だったようです。王宮に隣接していることもあって、1767年のビルマ軍による第2次アユタヤ侵攻により、3つの仏塔を除き、すべての建物が破壊されています。上の写真は、寺院の建物の廃墟越しに仏塔を見たところです。


 廃墟の瓦礫に座って、しばらくの間、3つの仏塔の方向を眺めてみました。
 昔は、ここを黄色に袈裟を着た僧侶達が行き交い、また、王族や山田長政をはじめとした有力者達が礼拝に来ていたに違いありません。目を閉じると、そんな遠い昔を思い起こすことができそうです。



ワット・プラシーサンペットの見どころ


 ワット・プラシーサンペットで元も目立つのはその円錐形の仏塔です。3つの仏塔の中には歴代の王のうち、3人の王の遺骨が納められているとされています。右側に入口がありますので、ちょっと中を覗きに行って見ましょう。


 仏塔の入口です。特に扉とかはないようですが、中は真っ暗で、外からでは何があるのか分かりません。もう少し近くに寄ってみましょう。

 仏塔の中です。異臭が漂っているのは、こうもりの糞の臭いのようです。フラッシュをたいたら、こうもりが鳴き、飛びまわる音が聞こえましたが、残念ながら写真にこうもりは写っていないようです。
 いずれにしても、仏塔の中はこうもりの巣となってしまったようです。いかにも廃墟らしい光景、廃墟らしい臭いでした。




 ワット・プラシーサンペットは晴れた日に行くと、青空と仏塔とのコントラストがとてもきれいなのですが、曇天の日ですと華やかさには欠けるものの、かえって廃墟の寂しさが一層漂う雰囲気です。
 また、夜は夜でライトアップされますが、もともとワット・プラシーサンペットが夜にライトアップされていたわけではないですから、仮に見た目に幻想的だとしても、私としてはライトアップされたワット・プラシーサンペットを見に行こうとは思いません。

 
 恐らくは緊迫で装飾されていたであろう往時の仏塔を想像しながら、境内を歩きながら無常観みたいなものを感じるのが、このワット・プラシーサンペットの楽しみ方なのではないでしょうか。ライトアップされて華やかにデコレートされたワット・プラシーサンペットにはほとんど魅力を感じません。


  仏塔の入口上の装飾などもじっくり見たいものです。こうした装飾の繊細さや尖塔のフォルムなどを見ると、1448年の建立とは思えないセンスの良さです。日本で考えるならば室町時代に当たるこの時期には、銀閣寺に代表される東山文化が広がりを見せていた時代です。文化的にどちらが優れているという議論ではなく、島国である日本では独自の文化が花開き、陸で国境を接するタイでは隣国の影響も受けながら、文化が花開いた時代だったのだろうと思います。

 
 上の写真などを見ると、建物の壁(表面)がはがされたようになっていて、私はそれがおそらく金箔であったのだろうと思います。目を閉じてこの建物が金箔に包まれた様子を思い浮かべると、そこにはアユタヤ王朝の豪華絢爛な文化を創造することができるのです。
 先にも書いた通り、アユタヤ王朝は約400年間続いた王朝です。日本の江戸時代でさえ265年だったことを考えれば、大変長きにわたってこの地域を支配した王朝です。しかも日本と違って、陸続きの隣国から侵攻されるリスクを抱えながらも400年間続いたのですから、その権力や体制の強さは計り知れません。そういった王朝ですから、その王朝を代表する寺院は豪華絢爛であってしかるべきですし、豪華絢爛でなければ民から畏怖を集められないのです。

 
 タイの小学生の社会見学のようです。日本で言えば、京都や奈良に来るようなものです。タイのどこから来た子供たちかはわかりませんが、引率の先生が時々足を止めて熱心に子供たちに解説している姿が印象的でした。
 子供たちはちょうど集合写真を撮った後です。確かにこの方向から見るワット・プラシーサンペットは形が良いですね。



 
 ワット・プラシーサンペットの西側の回廊部分です。首を切り落とされた仏像が何体か残っています。おそらく、もともとはこの回廊に沿って沢山の仏像が残っていたのでしょうが、首を落とされ、残った胴体以下も盗まれたり崩落したりしているうちに、数少なくなってしまったのでしょう。この辺りは観光客もあまり回ってこない場所なので、ひっそりとした空間に、アユタヤの歴史を感じさせる光景です。

 
 上の写真は三つの仏塔のうち中央の仏塔の前の様子です。恐らくは三つの仏塔は塀に囲まれ、中央近くに門があったものと推測されますが、その門が崩れている部分なのでしょう。左側に3つの仏塔が立っていて、写真左の白い階段は中央の仏塔に昇るためのものです。
 この角度から見ると、また違うワット・プラシーサンペットの魅力を見る感じがします。私は何度この寺院を訪問したか分かりませんが、何度来ても発見があります。私のお気に入りの寺院です。