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アユタヤのワット・チャイ・ワッタラナーム

 

会社概要*  

 ワット・プラ・マハタート


 ワット・プラ・マハタートは1374年の建立とされる仏教寺院です。アユタヤ王朝は1351年に始まったとされていますから、まさにアユタヤ王朝の初期に建立されたものです。この寺院には高さ44mの仏塔を建立したといわれていますから、アユタヤ王朝では象徴的な重要な仏教寺院の一つだったということができます。なお、高さ44mの仏塔はビルマ軍の侵攻を待つこともなく崩れてしまっていたようです。
 

 ワット・プラ・マハタートはアユタヤ城内に入るとすぐの所にあります。敷地と通りを挟んだ向かい側にはワット・ラチャプラナがあり、またさらに西に進むとワット・プラシーサンペットなどもあります。さらにアユタヤの王宮はそのワットプラシーサンペットの隣接していました。
 下にあるアユタヤ中心部拡大地図を見ていただくと、その位置関係が分かると思います。

 
 それだけに、アユタヤ王朝がビルマ軍の侵攻を受けた際には、アユタヤ市街の中心部にあったこれらの寺院は徹底的な破壊行動の標的になってしまったということだろうと思われます。ビルマ軍によって徹底的に破壊されているワット・プラ・マハタートでは、右も左も廃墟という寺院です。仏像はことごとく首や胴体を切り落とされ、建物はどれ一つとして原型をとどめていません。それでも、この寺院が観光客を集める理由は、頭だけ斬られた仏頭が木の根に囲まれて取り込まれているという神秘的な仏頭があるからです。


ここをクリックすると大きな地図が別ウィンドウで開きます。
 
 上の地図をご覧いただくと分かる通り、アユタヤの市街地は川に囲まれた島のようなエリアに集中していて、このエリア内はビルマ軍によって徹底的に破壊されたのだろうと思います。
 一方で、地図の右下にあるワット・ヤイチャイモンコンはビルマ軍の破壊から免れ、原型をかなりとどめています。



  木の根にはさみこまれた仏頭


 ワット・プラ・マハタートに来る観光客のほぼ全員の関心は、上の写真にある木の根に覆われた仏頭でしょう。アユタヤ観光の一つのハイライトと言っても良いかもしれません。ビルマ軍によって斬りおとされ放置された仏像の頭が、長い年月の間に木の根の中に囲い込まれてしまった様子が分かります。自然の力や仏の力といったものを感じないわけにはいきません。


 仏頭はこの木の根に覆われています。仏頭の前では、観光客がいつも写真のポーズをとっていますので、場所はすぐにわかると思います。なお、写真を撮影する際には「仏像より高い位置に立ってはいけない」と注意書きがあります。タイ語と英語だけではなく、日本語でも書かれています。記念撮影をするときには、仏頭より自分の頭を低い位置にするために、しゃがむなどしてください。タイの人は木の根が仏頭を包んで守ったと考えており、この仏頭を本当に大切にしています。失礼なことがないようにしてください。。



ワット・プラ・マハタートを回る


 ワット・プラマハタートの構内です。見渡す限りの廃墟です。アンコールワットをはじめとしたアンコール遺跡が密林の中で自然によって破壊されてきたのに対して、ここアユタヤの遺跡は戦争という人為的な行為によって破壊されたものですからなのでしょうか、このワット・プラマハタートを歩いていると、虚しさみたいなものを感じてしまいます。

 
 首のない仏像が並んでいるこの場所は、かつては回廊だった場所に違いありません。建ち並ぶ仏像の首を一つひとつ斬りおとしている兵士の姿を想像すると、戦争の狂気を感じないわけにはいきません。ここの回廊部分だけで100体をはるかに上回る仏像が安置されていたのです。


 廃墟の中に一体だけ見える仏像です。それがかえって異様な雰囲気を醸し出します。

 
 そうしたお顔のついた仏像もビルマ軍兵士の剣から免れたのではありません。写真をよく見ていただくとお分かりいただけるように、斬られて切断された仏像をいくつかつなぎ合わせて、原型に戻しただけなのです。原型に戻せなかった仏像は、その切断されたパーツが持ち去られたりして、このワット・プラマハタートには残っていないか、残っていても修復不可能になってしまっているのです。

 
 切断された仏像は、戦争の愚かさを私たちに語り続けているのです。



アユタヤ時代の仏像


 上の写真は、ワット・プラマハタートで原型をとどめている(ように見える)数少ない仏像の一つです。かつては建物内に安置されてたものでしょう。建物の外壁などは既に破壊されています。また、仏像を囲むように並んでいた仏像群も原型をとどめないくらい破壊されています。

 

 上の写真のように、壁を背景にしてこの仏像を見ると、顔や手の表情もよく分かります。アユタヤ時代の仏像の特徴がよく出ています。アユタヤ時代の仏像は、スコータイ仏が女性的な曲線美を持っているのに対して、男性的です。特に四角い顔つきとか広い肩幅などが特徴として挙げられます。スコータイ時代の仏像の特徴であるウエストラインのくびれは、スコータイ時代ほどではないにせよ、アユタヤ時代の仏像でも特徴として残っているようです。また、スコータイ仏の特徴の一つとされる頭の「まげ」はアユタヤの仏でも受け継がれています。
 なお、アユタヤ王朝はスコータイ王朝の時代に台頭した王朝で、スコータイ王朝はアユタヤ王朝に呑み込まれる形で消滅(アユタヤ王朝の血筋が跡取りになった)したという関係です。


 その仏像の上半身をさらにアップしてみました。首の部分は修復の跡が強く残っていることから、胴とお顔をつなげて修復したことが分かります。ひょっとすると、首から上の部分は最近になって作ったのかもしれません。 


 このワット・マハタートの付近には、観光者が象乗り体験をできる場所があります。象がアユタヤの街中をゆっくりと歩く姿は、現在の平和なアユタヤの街の象徴のようにも思えます。象に揺られて古都アユタヤを見て回るのも、アユタヤ観光の良い思い出になるでしょう。