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満鉄旧跡陳列館(旧満鉄本社ビル)-アジア写真帳(大連)

(2015年4月5日以来)

満鉄旧跡陳列館(博物館)-大連DALIAN

旧満鉄ビルへ

旧満鉄本社ビル

 大連には日本が統治していた時代の建物が数多く残されています。中山公園の周りの建物群が有名ですけれども、ここ旧満鉄本社もその中の一つです。現在はその大部分は大連鉄路の事務所として使用されていますので入ることはできませんが、一部は満鉄旧跡陳列館として開放されていて、建物内の見学したり満鉄の遺留品や歴史などの展示を見たりすることができるようになっています。
 満鉄旧跡陳列館(旧満鉄本社)は、大連の中では最も推薦できる観光スポットだと思います。

大連市電

 旧満鉄本社へはタクシーなど使わずに、大連らしく市電に乗って行ってみましょう。上の写真は大連駅前を走る市電です。日本の時代から走っている路面電車です。満鉄の時代から走っている路面電車です。当たり前ですけれども、日本のどこかの市電と同じですね。


 この車両が一番古いのではないでしょうか。でも、立派に現役として走っています。上の写真の大連駅前や勝利橋の近くを走る201番の市電に乗れば、旧満鉄本社ビルへは大連駅前から10分程度で到着します。なお、中山広場から魯迅路を歩いても、旧満鉄本社ビルへは10分程度です。


  市電の201系統に乗って、世紀街で降りると、旧満鉄本社はすぐ近くです。正面が満鉄本社です。
 ちょうど、新旧の市電車両がちょうどすれ違うところです。新しい車両の方が乗り心地ははるかに良いのですが、私くらいの年になると日本の市電へのノスタルジーもあるので旧車両も捨てたものではありません。

旧満鉄本社ビル(大連)

 旧満鉄本社ビルの中央棟です。立派な建物でしょう。この中央棟の左右にも建物が続いていて、現在は大連鉄路の事務所として使用されています。遠くから見るとすっきりしたデザインですが、近くで見ると重厚な雰囲気が漂います。
 満鉄本社ビルはもともとはロシアの租借地だった時代に学校の建物として設計されたものを、完成した時点では日本の租借地だったものですから、満鉄本社として利用したものです。建物がいくつかの棟に分かれていますが、統一感あるデザインです。
 詳細は後で記載しますが、満鉄旧跡陳列館には看板が出ていません。この中央棟に向かって右側の建物が満鉄旧跡陳列館になります。


 柱や壁には、上の写真のような装飾が施されている部分もあったりします。

 


満鉄旧跡陳列館

大連の満鉄博物館

 では、満鉄旧跡陳列館(満鉄博物館)を紹介しましょう。
 上の写真が博物館が入っている建物で、駐車場の奥に建つ中央棟に向かって右側になります。10段程度の階段を上ったところにある木製の入口が博物館の入口です。但し、ここには満鉄旧跡陳列館(満鉄博物館)の看板や表示は一切ありません。ドアにはいつも鍵がかかっています。電話をして開けてもらうしか入る方法はありません。この入り方については、このページの一番下で紹介しています。

大連の満鉄博物館

 その木製のドアから入ると、そこには旧満鉄本社の建物内部がそのままに保存されています。前にも書きましたが、旧満鉄本社ビルは、もともとロシアが小学校として建設した建物を利用していますので、中の装飾はロシア風です。


 一階天井にあるシャンデリアも素晴らしいですね。

 
 一階の廊下の突き当たりにやっと博物館(陳列館)の表示が出てきます。これが外に貼られていれば、日本人でも迷わずにこの博物館に辿りつけるのですが、‥‥。




 博物館(陳列館)内は、陳列品や展示物については写真撮影不可です。また、総裁室の中も撮影不可ですから、このページでの紹介も建物とその装飾が主になります。
 上の写真は博物館(陳列館)のある二階の階段部分です。


 そして、上の写真は中央棟に向かう廊下で、この廊下には博物館見学者は立ち入ることができません。柵の手前から写真を撮影するだけになります。
 雰囲気のある建物であることは、これまでの写真で十分にご理解されると思います。

大連の満鉄博物館内部

 最も素晴らしいと思ったのは、展覧室の天井です。もともとは満鉄の役員会議室だったようです。これは見る価値があります。
 この展覧室には、満鉄が使用していた工具、列車の部品、食器、当時の雑誌等々沢山の陳列品や満鉄の歴史を説明するための写真や資料などが陳列されています。説明はすべて中国語で書かれていますが、日本語のできるスタッフが一つひとつ説明してくれます。
 私のアドバイスとしては、ここで満鉄の歴史を勉強するのではなく、日中関係に関する現代小説の中から、満州国に関わるものを予めいくつか読んだうえで、この博物館を訪問するとこの博物館のスタッフにさらに質問もできるので思い出深い見学になると思います。因みにリンク先の中国現代小説勝手格付けは、このサイトの姉妹ページです。


 二階の階段わきに無造作に置かれている机は、満鉄本社で当時使用されていたものです。
 ついでに申しあげますと、総裁室が写真撮影禁止なのは既に書いた通りですが、総裁室にある満鉄総裁用の机が私が会社で使用している机より小さく違和感がありましたので、博物館のスタッフに質問したところ、総裁用の机は本物ではないそうです。本物の総裁用の机は壊されてしまっていたので、最も程度の良い机を総裁用として置いているだけだということでした。それはそうですよね。当時の満鉄総裁と言えば、当時の政府の中でも五本の指に入るような方が就任されていたのですから、あんな貧相な机であるはずがありません。でも、スタッフの方によれば、気づいた人は殆どいないとのことです。


 さて、本来は一番最初に紹介しなければならないこの博物館の説明書きです。実はこの説明書きは日中関係の変化により、2007年の限定公開の時から3回に分けて書きか売られているそうです。
 現在の書きぶりとしては、「満鉄は38年間にわたり中国東北部をの鉄道経営を通じて、中国の富を搾取し、中国人民の血と汗を搾取し、‥‥」という反日感情を煽りかねないものになっています。
 とは言え、ここのスタッフはもとより大連の人は親日的ですし、中国人観光客もほとんど来ないスポットでしょうから、そんなに気にしないでも大丈夫です。



満鉄旧跡陳列館(満鉄博物館)への入り方


 満鉄旧跡陳列館(満鉄博物館)は旧満鉄本社ビルの一部のスペースを利用しているだけで狭いのですが、とにかく展示物が多く、スタッフの方も一生懸命説明してくれるので見応えがあります。
 また売店では満鉄マークの入った当時のグラスなどが販売されています。これはちょっと高いので、満鉄マークの入っているものは何か残っているかと聞いたところ、本館前の駐車場にあるマンホールに一つだけ満鉄マークが残っているとのことでした。
 上の写真が満鉄マーク付きのマンホールです。その当時は大連市内のすべてのマンホールにこのマークがついていたそうです。

 
 
 さて、最後に、満鉄旧跡陳列館(満鉄博物館)への入り方です。
 上の写真は博物館の入口である木製のドアです。いつもならこのドアには鍵がかかっていますが、私が出たばかりなので上の写真では鍵が閉められていません。
 ちょっと分かりづらいかもしれませんが、ドアのガラスの右下に紙が貼ってあるのが分かるでしょうか。これしか満鉄の表示はないのです。旧満鉄本社ビルまで行ったけど博物館の場所が分からなかったという日本人観光客が多いのもうなづけます。


 そのガラスに貼られている写真をアップすると電話番号が書いてあります。この電話番号に電話すると、二階からスタッフが下りてきて鍵を開けてくれる仕組みです。したがって、満鉄旧跡陳列館(満鉄博物館)に行くのてあれば携帯電話必携です。あるいは、ホテルから電話をして、何時に行くから開けてくれと言えば、開けてくれるかもしれません。電話は日本語でOKです。
 入るのに一苦労の満鉄旧跡陳列館(満鉄博物館)ですが、見る価値は十二分にあります。




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