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ロシア人街(ロシア風情街)|アジア写真帳(大連)

(2015年4月5日以来)

ロシア人街(ロシア風情街)|アジア写真帳(大連)DALIAN

大連の勝利橋(旧日本橋)



 大連には観光地と言えるような観光地は、それほど多くはありません。日本人観光客からすると、二百三高地の旅順あたりが最も人気があるのでしょうか。でも私は私はあまり興味がないのです。 
 街中ということになると、中山広場には日本統治時代の建物が残っいるので観光客が行くところなのですし、ここロシア人街(ロシア風情街)も観光地の一つなのでしょうが、若い人にはインパクトがあるのかというとそれほどでもないでしょう。中山広場にしろ、ロシア人街にしろ、やはり日本と大連との関係というものがわからないと、興味が湧かない観光地だと私は思うのです。
 そこで最初に、日本と大連との関係について、ロシアとの関係も含めてお話しします。


「大連の街から~Ⅱ」から転載しています。

  日本が大連を統治したのは、日露戦争後のポーツマス条約の中で日本がロシアから租借権を譲渡されたことに始まります。以来、第二次世界大戦が終了するまで、大連は「関東州」と呼ばれる日本の租借地だったわけです。大連には満鉄の本社などもあったことから満州国に属していたなどと誤解している人が少なくないようですが、満鉄という半官半民の会社は、満州国という外国には本社を置けるはずもなく、言い方は悪いですが租借地だった大連だからこそ設置できたわけなのです。
 また、日中戦争に向けて暴走した関東軍は、関東州の守備隊を前身とした軍隊です。その本部は、当初、大連に近い旅順に設置されていましたが、満州事変後は満州国の首都である新京(現在の長春)に移転しています。
 こうした歴史の中で、日本の非道な行為は大連では比較的少なく、むしろ街づくりへの貢献も小さくないことから、中国東北地域においては、というか中国全土を見渡しても、対日感情が比較的良好であることが大連の特徴です。

 上の写真は、日本統治時代の日本橋と名付けられた橋で、中山広場から現在のロシア人街に向かう道(上海路)が鉄道の線路をまたぐために作られた橋です。


 この日本橋が、中国解放後に勝利橋へと名前が変わり、上の写真のように今では二本の橋が架けられています。橋の向こうに見える洋館の姿は、日本統治時代の写真と比較しても変わっていないことが分かると思います。


 ロシア人街に向かう場合はこの橋を渡っていきます。二車線になったとはいえ、欄干のデザインなども当時のものを踏襲しています。

 
 勝利橋(旧日本橋)から大連港方面を見たところです。日本統治時代は、大連は満州への物資の物流拠点としても重要な場所でした。日本と満州間の貨物は大連港で船と鉄道との積み替えが行われていましたから、鉄道の線路は大連港まで続いているのです。



大連の歴史とロシア人街(ロシア風情街)


 さて、勝利橋(旧日本橋)を渡り、ロシア人街に入りました。日本では「ロシア人街」と言われていますが、中国では「ロシア風情街」という名前です。実態は「ロシア風情街」という名称がぴったりします。何故ならば、このロシア人街には現在はロシア人は住んでいませんし、日本統治時代も住んでいないからです。


 では、何故ここだけロシア風の建物が立っているのかということですが、それはロシアから日本に租借権が譲渡された時期に遡って考えなければなりません。ロシア人外の建物を見ながら説明を読んでください。
 ロシアから見ると大連は太平洋に向けた重要な拠点です。ウラジオストクという港もありますが、ウラジオストクは冬の期間は凍ってしまいますので、ロシアといては不凍港である大連は、戦略的にどうしても必要な地域です。そこで、日清戦争後にフランスとドイツと組み、かの有名な三国干渉でもって、ロシアが大連と旅順の租借権を獲得しました。これが1898年のことです。


 ロシアは租借権獲得後、直ちに大連の街づくりに入ります。基本的な考え方は、旅順にある艦隊や軍への物資供給を行うため、ロシアからの鉄道をつなげるとともに港を整備する一方で、それまでは漁村に毛の生えた程度だった大連をパリをモデルにした都市へと発展させることでした。


 ですから、大連市内の道路をはじめとした都市計画は、この時代のロシアによるパリをモデルにした都市計画がベースになっていて、中山広場のような「ラウンドアバウト」(信号や一時停止がない一方通行の環状道路。渋滞が少なく欧米でよく導入されています。)が大連市内に多いのも、こうしたことに起因しています。


 ところが、ご承知のとおり1904年に日露戦争が起こり、勝利した日本が大連と旅順の租借権をロシアから獲得し、ロシア人は大連から撤退する事態となったわけです。その時点で、建物が完成していたエリアが今のロシア人街(ロシア風情街)だったわけです。ロシアがまずこのエリアに建物を建設していたということになります。
 したがって、ロシア人が住み着いた街ということではなく、ロシア風の建物が建っている街ということですので、「ロシア風情街」という名称がふさわしいと私は思っているのです。


 確かにこのエリアに建てられている建物は、いかにもロシア風という感じがします。天気の良い日であれば、気持ちの良い散歩ができますが、それだけの場所です。むしろこの街並みを見て感じてもらいたいのは、当時のロシアが有していた太平洋側への進出の野望なのです。仮に、この大連を拠点に当時のロシアが中国への影響を強めていれば、大連市内はもとより中国の様々な街がこのような建物であふれていたかもしれません。
 そんな歴史を考えながらロシア人街を歩くと、旅の思い出になる風景だと思います。


 さて、ロシア人の住んでいないロシア人街は、今何に使われているのかということですが、このエリアは観光地として位置づけられていますので、中国のホテルチェーンのホテルも数軒ありますが、土産物屋が多い状況です。でも、例えばロシアの製品など、ここロシア人街ならではの商品が売られているのではなく、大連の土産品が並べてあるだけの土産物屋です。よく言えば、ロシアの風情を楽しみながらお土産を買えるエリアということになります。


 ロシア人街から中山広場方面を見たところです。大連の市内は超高層建物の建築ラッシュですが、このエリアはロシア風情を残すため、建物が保存されています。


 ここはロシア風の建物に「吉永旅館」という名前が残っています。今は別の名前のホテルとして使用されています。

 
 このロシア人街の突き当たりにある白い建物は旧市役所です。
 この建物はロシア統治時代にダーリニー(当時の大連市の名前)市役所として利用されていたものです。日本統治後は満鉄の最初の本社として利用されましたが、満鉄は別の場所に本社を移しましたので、その後は大連ヤマトホテルとして、また、ヤマトホテルが中山広場に移転後は満蒙資源館として利用されました。
 貫禄ある建物ですが、手入れが悪いのか老朽化が目立ちます。

 
 旧市役所脇にある5階建てホテルです。まあまあ立派なホテルです。

    
 ロシア人街の近所に建てられたマンションです。この建物は比較的最近建てられたのでしょうが、いくらかロシア人街の雰囲気に合わせた外装になっています。



ロシア人街から双興卸売市場へ



 ロシア人街はこの旧市役所建物が突き当たりにあって、普通の観光客はここから同じ道を戻ります。それではあまり芸がないので、ここから双興卸売市場という大連最大の市場へと歩いてみましょう。所要時間は約10分です。
 上の写真の左側、すなわち、旧市役所と上で紹介した5階建てホテルの間の道を入り、すぐに右折し、住宅街の中を抜けて突き当りを左に曲がってください。


 すると、下り坂で下に降りていく脇道がありますから、それを下ると上の写真のような路上店舗が現れるはずです。ここはもちろん、まだ双興卸売市場ではありません。
 
 
 路上市場のあたりまで来れば、上の写真のようなビルが見えます。このビルが双興卸売市場です。

 
 双興卸売市場のフルーツ売り場です。
 卸売市場となっていますが、小売もしています。

 
 市場の中はお客さんでごった返していますし、お店の人も車や手押し車で移動していますので、事故やすりなどには十分に気をつけてください。
 私は海外旅行をするとその地のマーケットを見学するのが好きなのですが、特にアジアのマーケットは活気があるので見ていて元気が出てきます。ここ大連の双興卸売市場も活気があります。

 
 
 この写真は5月下旬に行った時のものですが、この時期はちょうど大連近郊でのチェリーの収穫時期にあたります。今日摘んだばかりのチェリーを卸値で、という垂れ幕が出ています。

 
 ここでの販売は重さ売りですから、こちらの店では、お客さんがチェリーをよりすぐって買い求める姿が見られます。
 このような庶民の生活を垣間見るのも市場巡りの楽しさの一つです。

 
 こちらの野菜売場でも、インゲンやとうもろこしを選ぶお客さんの姿が見れます。

 
 中華料理に欠かせないニンニク屋さんです。ニンニクの種類により、値段が違うのでしょう。


 もちろん、肉屋や魚屋などもたくさん入っています。詳しくは、別のページ後日紹介します。


 それから、双興卸売市場にはお茶の市場もあります。市内の店に比較すると格安な料金で中国茶を買うことができます。買いたいお茶の銘柄を伝え、中国茶はピンからキリまでいろいろなランクのお茶がありますから、試飲して気に入ったものを買えば良いのです。その場で真空パックしてもらったり、贈答用であれば立派な箱に詰めてもらったりすることも可能です。
 私は中国に行くと、半年分くらいの中国茶を大量に買って帰るのが常です。日本の値段に比べると、半値以下かそれより安いくらいです。


 どこかのレストランの買い付けでしょうか。リヤカーに野菜が山積みにされています。この積み方では、店に戻るまでに荷崩れするだろうな、などと思いながら、中国の人々の懸命な姿を見れるのも、こうした市場巡りならではの楽しみなのです。

 



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