蘇州の虎丘とは |
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中国の古都、蘇州。 蘇州は紀元前514年、呉がここに都を置き、闔閭(こうりょ)の時代に街としての整備が進んだのが歴史の始まりとされています。闔閭といえば、越の勾践(こうせん)との間で繰り広げられた呉越戦争が有名で、臥薪嘗胆(薪の上に寝たり苦いものをなめたりする。すなわち、成功するために苦労に耐える。)などの言葉を生んでいます。また、呉の宰相、伍子胥(ごししょ)が活躍したのも闔閭が呉王の時代で、伍子胥祠は盤門にあります。 現在の蘇州の繁栄が呉王闔閭に端を発しているのであれば、蘇州観光で呉王闔閭ゆかりの地、虎丘の紹介をしないわけにはいきません。 虎丘は呉王闔閭(こうりょ)の墓のあるところで、その名の通り小高い丘になっています。写真は虎丘への入口にある碑坊といわれる門で、「呉中第一山」(呉の中で第一の山と)いう字が見えます。また、山の上の斜めに立つ雲岩寺塔(通称「虎丘塔」)も見えています。 「呉の中で第一の山」とされている虎丘は、確かに蘇州のどこからでも頂上に立つ斜塔とともに見ることができます。ただ最近は蘇州もスモッグが多くて霞みがちではあります。なお、虎丘という名前は、呉王闔閭(こうりょ)はその死後、蘇州の海湧山という山に埋葬されましたが、埋葬後3日間白い虎が現れ闔閭の墓を守ったとされていて、以後、海湧山という名を虎丘に改名したとされています。 |
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海湧橋から断染殿方面を見たところです。木々の間から、丘の上に雲岩寺塔(通称「虎丘塔」)が見えます。断染殿という名は、乾隆帝の南巡に際し、虎丘の廟門を修復せよとの命令が下された折に、時間が切迫し新たに木材を他から調達する時間もなかったことから、大木を切って梁を繋げるという工夫をして、立派な廟門を何とか間に合わせたとの話に由来しています。 |
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真娘墓です。真娘は唐の時代に乱を逃れて北方から親戚ともども蘇州に逃げてきた女性ですが、逃亡の途中で。城外の楽雲楼という妓楼に入れられてしまいます。真娘は当時の蘇州でも最も美しい女性だったようで、それを知った蘇州のある大金持ちが彼女を買い受けようとしました。真娘はもはや逃れられないとして、自分の貞操を守るために首を吊って自殺したとされています。その大金持ちは大変ショックを受けましたが、真娘のために墓を建てるとともに自分も生涯妻を娶らないことを誓ったとされています。 この話について、白居易をはじめとして多くの文人が感動し、詩などの題材として採り上げています。 |
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千人石です。丘の上に平らな石がいくつも広がっていて異様な光景です。 千人石の謂れには二つの説があって、一つは、呉王夫差がその父闔閭を埋葬するにあたって、3000の宝剣をはじめとして数々の財宝を埋蔵した際に、その秘密を守るため埋葬に従事した作業者千人をこの石の上で殺害したというものです。 もう一つは、近代の高僧、竺道生の講話を聴くために、この石の上で千人が座ったと言うものです。 |
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千人石を高いところから見ると、こんな感じになります。確かに千人くらい座れるスペースもありますが、呉王夫差が財宝の埋葬についての秘密を守るために云々……という説の方が、虎丘らしいと私は思います。 |
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虎丘剣池 |
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千人石のある場所から剣池への入口です。 この赤い「虎丘剣池」という字は、唐の時代の書家、顔真卿(がんしんけい)の書です。顔真卿は王羲之(おうぎし)に代表される流麗で清爽な書法に反発し、力強い楷書体の技法を開発した人で、確かに、下の写真(王羲之の書)と比較すると全く違います。 |
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王羲之の書になる「剣池」の字。凄い字ですね。 王羲之は中国史上最も優れた書家とされており、書聖と名づけられています。活躍したのは4世紀の頃ですから、顔真卿(がんしんけい)よりも古い時代の人です。王羲之に興味のある方は、紹興の蘭亭に行かれることをお勧めします。 下の写真が剣池ですが、この赤い字は左手前の壁に大きく描かれているものです。上の写真の円形の門を抜けるとすぐに剣池があるので、円形の門の向こうとこっちに、王羲之と顔真卿(がんしんけい)という中国書道会の二大宗氏と言われる書家の字が見れるわけです。 |
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剣池です。呉王闔閭(こうりょ)の墓への入口がこの下にあるといわれています。既に書いた通り、闔閭を埋葬した際には3千の宝剣をともに埋めたとされていることから、剣池という名前がついたものです。呉越戦争や呉王闔閭の話は、中国人にとっては大変馴染みのあるものなので、虎丘での観光スポットとしては、雲岩寺塔(通称「虎丘塔」)と並んで人気の高い場所です。 青い4文字で「風壑雲泉」という字は、宋代の書家、米芾(べいふつ)の作です。米?が剣池を訪れた際に、自分が感じたままを書いたものとされています。壑という字は、谷とか溝といった意味なので、「この場に立って耳を澄ませば風の声が聞こえ、目を開ければ岩石が見える。頭を上げれば雲がたなびき、頭を垂れれば泉が流れている」といった情景を書いたものでしょう。中国では、この「風壑雲泉」という語が剣池の情景を見事に表現しているといわれています。 因みに、米芾(べいふつ)は、蘇州の近くの鎮江にある甘露寺という寺の多景楼の入口に「天下江山第一楼」という書を残しています。この甘露寺の多景楼は、三国志の英雄劉備と呉の孫権の妹、孫尚香がお見合いした場所として知られているところです。 |
望蘇台から御碑亭へ |
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剣池の脇から階段を上ると、悟石軒や五賢堂といった建物が並んでいます。悟石軒は千人石を俯瞰できる場所に建てられている建物で、五つ上の写真(千人石を上から撮った写真)は悟石軒付近から撮影したものです。五賢堂は白居易をはじめとした蘇州の五賢人を祀った建物で、このあたりは洞門や花窓など、蘇州庭園の技術が生かされているエリアです。 上の写真は、望蘇台という展望台に続く円洞門で五賢堂の横にあります。望蘇台は眺めの良い場所ですが、見える風景は開発し尽くされた蘇州の街ですので、特に風情は感じられません。 |
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この付近の回廊です。洞門(塀の中に作られた門、出入口)の形がいろいろあります。四角や丸い洞門が一般的ですが、中には軍配型やひょうたん型などの洞門もあります。洞門は、それを額として背後の景色を鑑賞させ印象付ける効果があります。 窓には飾りがついていますが、これを花窓といいます。それぞれの花窓が違うデザインになっていて、変化がつけられています。 こうしたところを歩いていると、中国の雰囲気に浸れる気がします。 |
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この一角にある御碑亭です。清の康熙帝と乾隆帝はたびたび南巡(蘇州のある江南地域を含めて中国南部を巡る視察)をしています。その際には必ず蘇州の虎丘に立ち寄ったとされていて、写真では見づらいのですが、柵の奥に康熙帝と乾隆帝の書いた詩が彫られています。 |
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雲岩寺塔は「蘇州の斜塔」 |
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御碑亭の近くから見た雲岩寺塔です。少し、斜めになっているのが分かりますね。 |
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いよいよ雲岩寺塔が近づいてきました。雲岩寺塔をバックに写真を撮る人が増えてきています。因みに写真の人は、ただの中国人観光客です。 |
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そして、雲岩寺塔の前に到着です。虎丘の頂上にあります。8角形の七重の塔で、レンガでできています。ご覧の通りの斜塔で、いつまで持つだろうかと心配になります。 雲岩寺塔、通称「虎丘塔」は959年に建設されたもので、既に1100年を超えて保存されています。高さは47.7mあります。説明によれば既に3.95度北西側に傾いているそうで、近くで見ると、1階部分から傾いているのが分かって、なかなか迫力があります。私の感覚では、もっと傾いていると思いますが。 こういう塔を見ると、「上まで登れるのですか」と質問する人が必ずいますので敢えて書きますが、勿論、登ることも中に入ることもできません。 |
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雲岩寺塔は蘇州の街の至るところから見ることができますし、虎丘のエリア内でもあちこちから見ることができます。この写真は、雲岩寺塔から冷香閣に行く途中から撮影したものです。全景までは難しいのですが、雲岩寺塔の大部分を間近に見ることができます。ただ、この角度からですと、斜塔としての傾きがあまり感じられないのが欠点です。 |
虎丘の茶館で一休み |
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雲岩寺塔まで来ると虎丘の頂上になりますので、後は丘を降りるだけです。が、虎丘の地図を見ると、まだまだ見ていないエリアがいろいろあるようです。もう少し虎丘を散策してみましょう。 とりあえず、ちょっと休憩を取るため、雲岩寺塔から少し入口に戻る形になりますが、冷香閣に向かいます。実は、冷香閣には茶楼がある旨、地図に記載されています。 |
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雲岩寺塔から冷香閣への道は、このような下り坂になります。洞門があったり花窓があったりする庭園が広がっており、蘇州らしさが味わえます。 |
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蘇州には、拙政園や留園をはじめ素晴らしい庭園が数多くありますが、虎丘も擁翠山荘を中心にこのような庭園が広がっています。他の庭園と異なるのは、丘に段々になって展開されていることで、森閑とした山の雰囲気を感じさせる中国庭園です。 |
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そうこうしているうちに、冷香閣に到着です。茶楼へは、この円洞門を抜けて2階に上がります。 |
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蘇州で私が飲むお茶は、碧螺春です。碧螺春は龍井茶と同じく緑茶の一種で、龍井が杭州産であるのに対して、碧螺春は太湖周辺が産地となっています。非常に繊細な産毛の多いお茶で、通常はお湯を先に入れ、後から茶葉をお湯の上にかけます。茶葉が徐々に沈んでいくと飲み頃になります。 すっきりしていて香の良いお茶です。茶碗のお湯が残り3分の1くらいになったら、ポットから継ぎ足して飲みます。お湯をポットから入れると、沈んでいた茶葉が掻き回されて暫くたつとまた茶葉が沈みます。この碧螺春は2杯目も3杯目も美味しくいただけます。 |
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掛け軸や置物、机も椅子も豪華です。 1時間弱をここですごしましたが、他のお客さんは他に1組しか来ませんでした。因みにお茶代も20元くらいだったと記憶しています。 |
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書台松影、小武当を経て北門へ |
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石観音殿は宋代に立てられたもので、以後、何度も修復や再築がされていたようですが、2006年に宋代の観音殿跡が発見されたそうです。門の辺りも、ちょっと風格があります。 |
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古石観音殿の内部です。手前が観音殿跡で、周りの建物や回廊には、観音殿の絵などが掲げられています。ここの観音様は応夢観音と言われていて、なかなか優雅なものです。 |
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書台松影は、宋代の著名な儒学者が虎丘で起居していた場所で、雲岩寺塔から北門へと降りていく途中にあります。 儒学者が住んでいただけあって、静寂に包まれた場所にあります。かつては眺めも良かったとのことですが、今は森に覆われて視界は開けていません。しかしながら、それが却って静寂さを際立たせていて、虎岡の中にありながらも観光客がまばらで静かな時を過ごせる場所でもあります。 |
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儒学者が起居していた建物ですから質素ではありますが、きりっと引き締まったものを感じさせます。回廊の角にある一本の松の木が大変良いアクセントになっています。 |
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2010年5月現在、書台松影の建物内はあまり整備されていません。 恐らくこの部屋は書院として、その儒学者が読書をするために使用していた部屋だと思いますが、このような花窓がつけられていて、質素な造りの建物といえども、やはり蘇州だなと感じさせます。 |
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北門の手前にある小武当といわれるところです。「呉分楚勝」の4文字が入った牌楼とその背後にある湖石、洞窟を合わせて一体として、小武当と言われています。牌楼があるのですから、何かの象徴か記念碑的なものだと思いますが、「呉分楚勝」の言葉の謂れや虎丘との関係について私はよく分かりませんので、ご存知の方がいらっしゃればぜひ教えてください。 牌楼の背後の石組みも歴史を感じさせるもので、見事な石が使われています。洞窟も見えますね。 |
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小武当の背後に雲岩寺塔が見えます。手前の橋は小武当橋と言われています。 小武当橋と牌楼を手前にして、虎丘の頂上にそびえる雲岩寺塔は、なかなか絵になる風景です。北門の前になりますので、観光客も少なく、静かに雰囲気に浸ることができます。 |
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虎丘の北門です。立派な門が建っています。 海湧橋や断染殿などがある南側の入口から入ったので、北口から出てみようと考えこちらに来たのですが、バス停も遠いしタクシーもあまり通りません。足の便を考えれば、南から入って雲岩寺塔まで登り、違う道を通って南出口に出るほうが無難な感じがします。 蘇東坡が虎丘を評して、「到蘇州不遊虎丘者、乃憾事也(蘇州に行ったのに虎丘を見に行かないのは、まさに心残りである)」と言っていますが、まさに虎丘を言い得た表現ではないかと思います。虎丘は、急いで見て1時間半、ゆっくり回って半日かかる広いスポットですが、蘇州の、そして中国の歴史と文化を感じさせてくれるスポットです。 |
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