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清代末期の庭園、耦園|蘇州古典園林の魅力

(2010年5月1日以来)

清代末期の庭園、耦園SUZHOU

耦園について

蘇州の?園:入口へと続く運河沿いの道

 耦園(おうえん)は蘇州城東部の堀近くにある庭園です。清代末期に沈乗成の隠居として建築され、その後改築され現在に至ります。世界文化遺産に指定されています。
 園内は大きく「東花園」「西花園」の2つのエリアに分かれており、「東花園」は山を主観とするテーマになっていて、池の周りに楼閣と回廊が点在します。客人を接待したのは、主としてこの東花園だと思われます。一方「西花園」は邸宅部分もある落ち着いた庭園で、静寂な空間です。いずれも、観光客がひしめく庭園とは異なり、静かな庭園めぐりを味わえる場所です。そんなに広い庭園ではないので、1時間か1時間半もあれば十分に鑑賞できます。
 上の写真は、?園の入口に向かう運河沿いの道で、これをまっすぐに行くと?園の入口になります。

蘇州の?園:運河に面した入口

 耦園の入口です。個人の住宅の門のように、おとなしい地味な門構えです。
 耦園は、清代末期に官僚の沈乗成の所有となった土地に沈乗成が造った庭園で、耦園の「耦」の字は偶数の「偶」の字と同じ由来があって、「二つ」を意味します。沈乗成がこの命名に込めた心は、夫婦二人で隠居後の生活を楽しもうということにあるという説と「東花園」「西花園」の2つのエリアを持っていたからという説の二説があります。

蘇州の?園の地図

 耦園については日本のどんなガイドブックも名前くらいしか紹介していないので、まず、地図を載せておきましょう。
 入口は下部にある門庁で、門庁を含めその縦の線から左が「西花園」、右半分が東花園です。地図上部の遊船碼頭は遊覧船乗り場のことで、地図の上側は蘇州城の東側の堀に面しています。地図の写真をクリックすると大きな地図が別のウインドウに出てきますので、以下については、地図も参照しながら読んでみてください。



耦園の西花園


 それでは、まず、西花園の方から観賞していきましょう。
 入口から地図の左側、織?老屋へと向かいます。その途中にある黄石を積み上げた築山です。この築山の上に白壁があり洞門が開いていますが、これを抜けると東花園に入ります。ここでは、この築山を横目で見ながらまっすぐ進みます。

蘇州の?園:織窓老屋

 織帘老屋です。こじんまりした平屋建て建物です。
 織帘とはカーテンを編むという意味ですが、南宋時代の学者で学は究めたものの一度も政府に仕官しなかった沈驎士の詩から、「織帘」の字をとったとされています。
 耦園を造った沈乗成は織帘老屋と名づけたこの建物を自分自身の書斎(勉強部屋)にしていたそうです。西花園については、この織帘老屋を中心に出来上がっています。まさに庭主が自分を楽しませるために造った庭園が西花園で、客人をもてなした庭園が東庭園なのではないかと思います。


 織帘老屋の庭にある石筍と黄石のオブジェです。黄石の中に、三本の石筍を建てているだけですが、構成が素晴らしく見ているだけで心が落ち着きます。書斎の近くにこうした庭を作って、時々気分転換をしながら集中力を高めたのでしょう。


 織帘老屋の中です。真ん中にある掛け軸は、南宋時代の学者で政府に一度も仕官しなかった沈驎士の作です。
 漢民族である沈乗成にとって、異民族である清朝に使えることは屈辱だったと思います。それ以上に、清代末期の清朝の退廃ぶりは学のある沈乗成にとっては、耐え難いものであったに違いありません。宮仕えなど早くやめて、好きな学問に打ち込みたいという気持ちは沈乗成の強い思いだったのだと思います。
 貧しいながらも好きな学問に打ち込んだ沈驎士の生き様こそが、耦園の創設者、沈乗成にとって憧れる生活だったに違いありません。


 織帘老屋の花窓です。花窓の場合、中央の部分が額縁になって外の風景を強調するのですが、この花窓の場合はどこに立っても、外の風景が絵の様になりません。ひょっとして、書斎の机のところからだと良い景色だったのかもしれません。あるいは、単に明かりを取るだけのための花窓だったのでしょうか。


 耦園・西花園の蔵書楼(図書館)です。学を好んだ沈乗成のことですから、沢山の書籍があったに違いありませんが、二階建ての大きな蔵書楼ですので、収容能力も半端ではないと思います。書斎である織帘老屋は蔵書楼の近くに建てられています。地図を見るとよく分かります。




 蔵書楼近くの内庭です。
 耦園には、東花園、西花園に加えて邸宅があり、沈乗成とその家族が生活していたところです。この西花園は、客人を入れるところではなく、沈乗成とその家族のための庭園だと思います。それだけに、太湖石を使ったこの内庭も、はったりのない落ち着いた雰囲気の庭園です。


 耦園の中にある門です。風格のある門ですね。
 門には「詩酒聯歓」と書いてあります。「詩と酒で交歓」という意味です。清代末期の官僚の隠居後は、まさにこうした生活なのでしょう。仲間内で集まり、酒を飲み交わしながら詩を作り歓談するのが、老後の楽しみだったのでしょう。

 

 アップするとよく分かりますが、かなり精緻な彫刻がなされています。特に、「詩酒聯歓」の文字の上にある彫刻が見事です。
 


西花園から東花園へ


 西花園から東花園に入るところにある塀と円洞門です。円洞門の上に?園の文字が見えます。松の木がアクセントになっていますが、松の木が邪魔をして円洞門を正面から見た写真が撮れません。
 なお、円洞門を正面から入ると、黄石の大きな築山が視界を遮っていました。中国庭園得意のじらしの技です。


 西花園と東花園とを分ける塀にある空窓から見た、東花園です。正面が吾愛亭、右側が山水間です。この花窓で東園を少し見せたのに、上の写真の円洞門を入ると、岩山で視界を遮るのです。このような設計は、この頃の中国庭園で数多く見られます。


 窓の話が続きますが、同じく西花園と東花園とを分ける塀にある漏窓です。ここ耦園の中で、また、数多くの古典園林がある蘇州の中でも、最も印象的で美しい漏窓と言えるでしょう。ご覧の通り、精巧な彫りが施されています。


 花瓶型の洞門です。洞門は、円形とか四角形が多いのですが、花瓶やひょうたん、扇などの形の洞門も、庭に変化をつけるためによく使われています。


 漏窓です。耦園の漏窓は曲線を多用した幾何学的なものが多いような気がしました。


 東花園の鑑賞は、まず、客人をもてなすメインホールだった城曲草堂から始めましょう。
上の写真は城曲草堂に向かう回廊です。茶色い木がふんだんに使われています。


 城曲草堂に向かう回廊から見た黄石の築山です。


 城曲草堂です。2階建ての赤茶色の建物です。耦園では、こうした赤茶色の二階建て建物が沢山建てられていて、それが一つの統一感となっています。
 赤茶色の二階建て建物は、清代に富を極めた揚州の塩商人たちが造った庭園でもよく見られるものです。揚州の庭園では、例えば何園个園では建物ばかりでなく回廊も二層になっていて、二階にも回廊があるのが特長です。この耦園の城曲草堂は、少なくとも建物の色合いや総二階の建物構造などは、清末の時代のはやりなのか、或いは揚州の庭園の影響なのか分かりませんが、揚州の庭園の雰囲気に大変似ています。回廊を2階にもつければ、揚州の庭園の構造そのものになります。
 楊州の何園や个園といった庭園で、総二階の建物に回廊をつけたのは回廊からの池や建物等の視界に変化をつけるためでした。ところが、この耦園の城曲草堂は回廊をつけないばかりか、城曲草堂から池を全く見えないように建物の前に大きな黄石の築山を作っています。耦園は、揚州の庭園と同時期に造られたわけですが、コンセプトが異なる庭園だといえます。


 城曲草堂前の黄石の築山です。メインゲストホールの前に造られた築山だけに大きさ、デザインともに見事なものです。耦園が黄石の築山を主観にした庭園であると言われるのも、この城曲草堂前の黄石の築山の威容があるからこそです。

 城曲草堂前の黄石の築山の脇から池周辺の建物を見たところです。これから回遊する東花園に対する期待が膨らむような光景です。
 東花園は客人をもてなすために造った庭園ですので、いわゆる回遊式の中国庭園です。耦園のハイライトである東花園の様子はページを変えて、耦園(2)東花園の中で紹介していきます。

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