寒山寺と楓橋夜泊|蘇州古典園林の魅力

(2010年5月1日以来)

寒山寺と楓橋夜泊SUZHOU

寒山寺と楓橋夜泊 

楓橋夜泊を詠んだ張継

 私がこのサイト、「蘇州古典園林の魅力」を立ち上げたのが2010年。おかげさまで来訪者は4万3千を超え、yahooのカテゴリーにも登録されました。このサイトでは古典園林を中心に蘇州の魅力を発信してきていますが、何人かの方から寒山寺の記載は何故ないのかといったご質問を頂戴していました。実は、寒山寺については2000年前後に一度行ったことがあったのですが、あまり印象に残らなかったのでその後訪問していなかった経緯にあります。
 今回、久しぶりに寒山寺を訪れました。寒山寺と言えば「楓橋夜泊」の七言絶句で有名です。上の写真は「楓橋夜泊」を詠んだ張継の像です。張継は唐代の役人です。張継作の有名な詩はこの「楓橋夜泊」だけです。詩人と紹介されるのは、彼としては不本意かもしれません。


 張継の「楓橋夜泊」はこんな内容です。
月落烏啼霜滿天 月落ち烏啼いて霜天に滿つ
江楓漁火對愁眠 江楓漁火愁眠に對す
姑蘇城外寒山寺 姑蘇城外寒山寺
夜半鐘聲到客船 夜半の鐘聲客船に到る

  月が沈み夜もふけた頃に、烏(カラス)が鳴き、霜の気配が一面に漂っている。
  川辺の楓や漁火が、眠れずにいる私の目に映ってくる。
  姑蘇城外にある寒山寺からは 
  夜半を知らせる鐘の音が、この客船にまで聞こえてくる

 京杭運河を船で旅していた張継が、蘇州(姑蘇)城外にある楓橋の近くで停泊した船の中で夜を迎えた時に詠んだ詩です。カラスの鳴き声が聞こえるだけの静かで暗い夜に、楓や漁火の火がチラチラと目に入ってくる。そうしたなか、寒山寺の鐘の音が心に響いてくる。そんな情景を詠っています。


 寒山寺はまさにこの詩だけで有名になっていて、中国内はもとより日本からも多くの観光客が訪問しています。日本からの蘇州ツアーで寒山寺を入れていないコースは殆どないのではないかと思うくらいです。
 「楓橋夜泊」にある「楓橋」は蘇州城外の古鎮(昔の村)で、実は寒山寺の隣にあります。ですから、寒山寺に来たら、セットで楓橋古鎮も見ておくと、「楓橋夜泊」での張継の気持ちが分かるかもしれません。寒山寺については立派なお寺ではありますが、わざわざ日本から見に来るほどではないと思います。寒山寺だけ見て帰るのではもったいないと思うのです。

蘇州の寒山寺

 張継の詩の3句目と4句目に出てくる寒山寺の鐘から紹介していきましょう。
 寒山寺の鐘は何代も継承されていて、今あるのは2007年に建造された大鐘です。この大鐘は既存の鐘楼に入らないので、大鐘を入れるための建物をわざわざ建てなければならないほどです。
 実はこの鐘のある建物、梵音閣は寒山寺の本堂などとは離れたところにあります。寒山寺の境内はとても広いのです。上の写真で、手前の建物が鐘が収められている梵音閣で、写真奥の塔のあたりが寒山寺の本堂があるところです。



寒山寺

 

 寒山寺の鐘が収められている梵音閣に向かって歩いていきます。中国の寺院などでは、一般的に鐘は鐘楼という建物にあります。この梵音閣も鐘楼と同じように、鐘だけを収納する建物だと思うのですが、寒山寺の鐘はそんなに大きいのでしょうか。


 梵音閣にかなり近づいてきました。梵音閣は思った以上に大きな建物です。こんな建物を必要とする鐘ってどんなに大きいのでしょうか。

蘇州・寒山寺の鐘

 梵音閣に入ったその時、他の観光客が寒山寺の鐘をついているところでした。すごい大きい音です。でも、よく響く良い音ですが、音が少し高めに感じます。
 大きな鐘ですね。上の写真の人間の大きさから、この鐘の大きさを想像してみてください。

蘇州・寒山寺の鐘

 鐘全体を撮影しました。この写真ですと大きさが伝わらないのですが、鐘の高さ8.5m、直径は5.188mで重さ108トンということです。寒山寺が建てられた唐の時代の鐘の仕様で、武漢で製造されたもののようです。

蘇州・寒山寺の鐘

 鐘の表面には約7万字の大乗妙法蓮花経が彫られています。その下には天女の絵などが彫られているのが分かります。
 張継の時代、すなわち唐の時代の寒山寺の鐘の大きさは分かりませんが、その唐の時代の仕様で作られたこの大鐘の響きは、遠い唐の時代の音に似ているのかもしれません。
 というようなことを思いながら、寒山寺の鐘を後にし、寒山寺の本堂の方へ向かいます。


 寒山寺で有名な五層の塔。大鐘のある梵音閣から境内に向かう途中、すなわち境内の外から撮影しています。ここの門は常時閉められていますので、寒山寺の正門に向かいます。


 寒山寺の境内です。寒山寺の境内はいつも線香の煙で朦々としているのですが、今回は午後4時ころの到着で参拝客が少ない時間に来てしまったせいか、迫力ある線香の煙は経験できませんでした。

 
 寒山寺の境内です。黄色い壁と黒い屋根で色が統一されていて、雰囲気は十分に楽しめます。この時間は観光客が少なくなるのか、ゆっくり自分のペースで観光できます。右に見える二階建ての建物が従来の鐘楼です。今の大鐘のサイズでは、とても入りきらないことが分かります。




 寒山寺の大雄宝殿に鎮座する釈迦牟尼仏様です。 穏やかで慈悲のあるお顔をされています。龍の刺繍が中国らしいです。

 

 五層の塔です。宝塔と呼ばれています。素晴らしい形をしています。こういう高い建物を見ると、当然ながら登りたくなります。もちろん私も登りました。
 視界を遮るものがなく、良い見晴らしでした。

 

 寒拾殿です。寒山と拾得を祀った建物で、寒山と拾得は唐代の寒山寺の僧侶です。お気づきかと思いますが、その寒山が、ここに寺が創建される前に草庵を結んでいたため、その名をつけて寒山寺になっているのです。寒山は、風狂(戒律などの仏教本来の決まりを逸した行動を、仏教の悟りの究極的なものとして肯定的に評価されていること)の僧と言われ、中国仏教においては大変有名です。
 拾得もまた唐代の風狂の僧で、寒山とは7世代にわたる仇敵同士の家に生まれた間柄でしたが、中国の三大霊山の一つ、天台山でお互いに悟りを開き、寒山拾得と称される間柄になったと言われています。

寒山と拾得(蘇州・寒山寺)

 寒山と拾得は、数多くの奇行が目立ったものの、後世になって評価が高まり、寒山は文殊菩薩、拾得は普賢菩薩の化身とする説が生まれています。通常、寒山は巻物を持った姿で描かれ、拾得は放棄を持った姿で描かれるそうですので、上の写真では右が寒山、左が拾得だと思われます。
 寒山拾得は寒山寺の名の謂れにも関わる重要なポイントです。

 
 

 宝塔の敷地の角にある銅製の親子獅子像です。この像は人気があるのか、写真を撮る観光客が絶えず周りでポーズをとっていました。確かに親子の表情が可愛らしいのです。

 
 

 五層の塔の上から見た大雄宝殿の屋根です。これは誰を彫ったものなのか、私にはよくわかりません。どの屋根にもこのような彫刻が飾られていました。



楓橋古鎮と楓橋夜泊


 楓橋古鎮は、寒山寺の隣にある古い村です。昔、隋の時代に造られた京杭運河に沿って作られた村で、楓橋の先で京杭運河は環城運河(蘇州の旧市街を囲む運河)と別れるようになっています。上の写真の橋が楓橋です。長さ40m、幅5.27m、円形の横幅が10mという橋です。
 見事な橋ではありますが、この程度の石橋は中国内によく見られます。この楓橋が有名になったのは、張継の七言絶句、「楓橋夜泊」に詠われたからにほかなりません。実は、張継が詠った楓橋は「楓橋古鎮」でした。当時の楓橋は「封橋」という名前で「楓橋」ではなかったのです。中国語では同じ発音になる「楓橋」の名に変わったのは、張継の「楓橋夜泊」が有名になって以降の話なのです。


 ということは、張継が詠んだ「楓橋」は「楓橋古鎮」のことであって、張継が特にこの橋を見て感じたということは何もないのです。張継の七言絶句にある感情は、楓橋古鎮の静けさや冷え冷えとした空気に、都落ちする役人の切なさが重なったものなのです。
 ですから、「楓橋夜泊」の心を感じるためには、夜の楓橋古鎮にたたずみ、寒山寺の鐘の音が鳴るのをじっと待つということになるわけです。ところが、蘇州の開発とともに、寒山寺の一帯にもマンション群が建ち並んでいますから、張継の時代の静けさまでは再現できません。ただただこの古鎮の風景を眺めることで、張継の心の一端だけでも感じることができれば、楓橋古鎮に来た甲斐があるというものです。
 もう一度、上の写真の張継の表情をご覧ください。都落ちする役人の表情、落胆と後悔と懐旧の情が入り混じったものが感じられませんか。

楓橋古鎮の入口建つ鉄鈴関(蘇州)

 楓橋から楓橋古鎮に入る場所に建つ鉄鈴関です。もともとは明の時代に倭寇から蘇州を守るために造られた3つの関所のうちの一つで、鉄砲や石で倭寇の攻撃を防いだ由緒ある建物です。
 楓橋古鎮に入るには、入場料が別途必要になりますが、この古鎮にある建造物で、歴史的な意義のあるものは実はこの鉄鈴関だけです。他の建物は観光客向けに、古鎮の昔の姿を再現するために整備されたものばかりです。そういう意味ではテーマパーク的な所と心得て入れば、入場後の失望感はないと思います。
 見るべきものは殆どないと言っても過言ではない楓橋古鎮ですが、楓橋古鎮から見る寒山寺方面の風景と京杭運河(隋の文帝と煬帝が北京と杭州の間、2500㎞の間に作った運河。南北を結ぶ水上交通の大動脈である)は見る価値が十分にあります。

 

 では、まずテーマパーク的な楓橋古鎮を紹介します。
 上の写真は戯台といって、古い中国の街には必ずある建物です。この楓橋古鎮の戯台と同様に、屋根が跳ね上がっているケースが多いです。舞台として使われ。音楽や戯曲などが催される村の集会ホールのようなものです。


 上の写真は古鎮の商店街です。まあ、テーマパークみたいなものですからこんなものでしょう。
 中国の古鎮、特に水郷古鎮は、見どころが多いので私はよく行くのですが、蘇州周辺に素晴らしい古鎮はいくつもあります。私のホームページでも、西塘古鎮同里古鎮周荘古鎮を紹介しています。どこも、昔の建物がそのまま保存され、水上交通が華やかだった頃、水上交通の要衝として栄えた村の雰囲気が残っています。ぜひ、訪ねてみてください。


 こちにはお米屋さんです。コメの銘柄が店内に見えます。


 上の写真は質屋です。カウンターの位置が少し高いところにあるのが、中国の質屋建物の特徴です。



 
 
 上の写真は楓橋古鎮の船乗り場です。現在建てられている建物は再建されたものですが、この地に唐の時代も船乗り場があって、夜になるとこの周りに船が停泊したものと思われます。

 
 
 船乗り場の建物を抜けると、そこには惊虹渡しと書かれた門が建てられ、眼前に京杭大運河が広がります。張継がこの場所を訪れた唐の時代には、見晴らす限り草原や湿地が広がり、2㎞くらい先に蘇州の街が見えるだけという風景だったのではないでしょうか。
 ちょうど、この渡しがある所で、京杭運河が環城運河(蘇州の旧市街を囲む運河)と分岐します。おそらくは、張継が宿泊した船も、この渡しから少し環城運河に入ったところに停泊していたのではないかと考えられます。何故ならば、環城運河に入ると、水の流れが穏やかになり、船を停泊させやすいからです。
 私のこの想像が正しければ、その停泊した場所というのが、まさに楓橋古鎮の真横なのです。


 その場所からは寒山寺の塔や建物群は、今と同様に見えていたのかもしれません。他に見えるのは漁火と紅葉した楓の葉だけで、烏の鳴き声に混じり、時々響く寒山寺の鐘の音。目を閉じると、そんな情景を想像することができます。

 
 

 寒山寺自体は、私としてはそれほど感動的な場所ではありません。けれども、「楓橋夜泊」を詠んだ張継の心を探る旅として位置付ければ、興味深い、思い出深い散策ができると思います。
 久しぶりに寒山寺に来て良かったと思います。


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