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神武台と周愉閲兵-三国赤壁古戦場


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三国赤壁古戦場について


 赤壁の戦いは三国志最大のハイライトの一つで、三国志について少しでも関心のある人なら知っている有名な戦いです。映画「レッドクリフ」は、三国志の「赤壁の戦い」と「長坂の戦い」の部分を紹介した映画ですから、ご存知の人も多いと思います。三国赤壁古戦場は、その赤壁の戦いが繰り広げられた赤壁市に作られているテーマパークで、当然ながら長江(揚子江)に面した場所に建設されています。当時の建物や陣地を復元したり、また、三国志の英雄たちの彫像があったりということで、現代的な公園になっています。


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 この三国赤壁古戦場に行くためには、武漢に宿泊すると良いと思います。赤壁への行き方や武漢への行き方については、こちらのページを参照してください。
 三国赤壁古戦場の場内地図は上の写真やリンクをクリックすると大きな画像で見ることができますが、一言で言うと大変広く、見所豊富です。展示されているものを見るだけで少なくとも3~4時間は必要になりますし、いろいろなイベントも実施されています。例えば、長坂の戦いでの趙雲の働きを実演する「単騎救主」や「空城の計」「周愉の閲兵」など様々な演出があって、これらは時期によって内容が変わるようです。最新の情報は三国赤壁古戦場のホームページ(中国語)をご覧ください。また、演技の時間は同ホームページの中の演出項目表をご覧ください。


 見所が豊富な三国赤壁古戦場ですが、上の写真はその入口です。
 このページでは、入口を入ってからすぐのところにある神武台や財神殿などを紹介するとともに、神武台の前で実演されていた「周愉の閲兵」の写真を紹介しながら、赤壁の戦いで孫権・劉備軍が数に勝る曹操軍を打ち破った背景を、孫子の兵法に言う「道、天、地、将、法」に照らして見ていきたいと思います。



神武台と周愉閲兵-孫子の兵法「道天地将法」


 上の写真は、神武台の前で展開されている「周愉の閲兵風景」です。神武台は、入口を抜けると正面に配置されています。長さ26m、奥行き8m、高さ12mのステージで、台上の銅製の壁には虎の絵が彫られています。実際に赤壁の戦いにおいても、こうした台の上から周愉が兵士の訓練をチェックしていたといわれています。また、陣太鼓も置かれていますが、赤壁の戦いの前夜に、激しく鳴らされる陣太鼓のなかで、孫権・劉備軍の兵士たちが生死の契りの儀式を交わしたのが、この神武台です。 


 ここから4枚ほど、神武台の前で演じられていた「周愉閲兵」の写真を掲載しますが、それを見ながら、30万の曹操軍に対してわずか3万の孫権・劉備軍が、恐れることなく立ち向かっていったのは何故か、それを孫子の兵法に言う「道、天、地、将、法」に照らして見ていきましょう。
 孫子の兵法の第1章のはじめは「孫子曰く、兵は国の大事なり。(戦争は国にとって大事な問題である)」という文から始まりますが、戦争を勝利に導くためには「道、天、地、将、法」という5つの要素を大切にしなければならないと孫子は書いています。

 まず、「道」です。すなわち、大義名分を組織内に徹底させることです。
 戦いに大義があり(正しいものである)、全員が納得できるものでなければ、例え一時的に勝利を打ても最終的には敗れざるを得ないということです。北からの侵略(曹操軍)を破らなければ妻子や家族を守れないといったことが、孫権・劉備軍の「道」だったかもしれません。逆に曹操軍は、それまでの戦いで民衆の殺戮などもしていたことが、「道」での弱みになっています。


 次に「天」です。すなわち、時勢・タイミングを得ているかという問題です。
 孫子は、タイミングを見極めることが何よりも大切だと説いています。孫権・劉備軍にとっては、これ以上曹操軍が勢力を伸ばせば、いずれ曹操に飲み込まれてしまうというギリギリのタイミングで手を握ったということになります。この赤壁の戦い以降、まさに魏、呉、蜀の三国の鼎立がなったわけで、まさにタイミングを見極めていたといえます。

 続いて「地」です。地の利・地形・場所の利があるかということです。
 この要素は、赤壁の戦いではまさに最も重要だったものではないかと思います。すなわち、東南の風が吹く日を選んだということは、風上という「地の利」が得られる日を待ったということなのです。諸葛孔明は拝風台で東南の風が吹くよう祈っていますが、天文学と地理に通じていた諸葛孔明はこの地区では冬至の前に東南の風が吹く日が必ずあることは知っていたとされています。


 そして「将」です。すなわち、リーダーの資質・能力の問題です。
 ここに関しては、孫権・劉備軍が曹操軍に勝っていたとは言い切れませんが、周愉という類稀な資質を持つリーダーがいたことが、「将」の要素から見れば、少なくとも曹操軍に対峙できた理由なのだと思います。

 最後に、「法」です。すなわち、組織の規律・統率を整備するということです。
 兵の訓練や指揮官による閲兵などにより規律や統率を取るわけですが、曹操軍では楽勝ムードがあったのか、毎晩のように宴会が開かれる一方で、兵士の間では疫病が蔓延し船酔いに悩む兵士が続出するなど、組織の規律や統率は緩んでいたと言わざるを得ません。

 こんな風に見てくると、いくつかの要素で、曹操軍にはほころびがあり、一方、孫権・劉備軍は孫子の「道天地将法」という5つの要素に忠実に戦っていたことが分かると思います。実は、周愉も諸葛亮も「孫子の兵法」を諳んじるくらい読んでいたのです。曹操も「孫子の兵法」をよく学んだとされていますが、この赤壁の戦いでは孫子の兵法が生かせない結果となり、敗北を喫することになったのです。


 孫子の兵法を解説しながら、周愉閲兵の写真を紹介しましたが、兵士の中に女性が入っていたり、剣術が全くなっていなかったりで、演技のレベルはお世辞にもすばらしいといえるものではないですし、諸葛亮に至っては何か全くイメージが合わないキャラクターです。が、まあ、上に書いたような神武台の位置づけなども理解したうえで演技を見れば、それなりに赤壁の戦い前夜の熱い雰囲気がおぼろげに見えてくる気もします。



財神殿


 神武台から少し周りを歩いてみましょう。すぐに見えるのが鐘楼と財神殿です。写真上の手前にある幅の狭い建物が鐘楼で、その奥に建つのが財神殿です。


 なんとここで、これからどこかでの演技に参加する諸葛亮と孫尚香(孫権の妹)に対面です。さきほどの神武台で見た諸葛亮以上に諸葛亮らしくない諸葛亮ですね。孫尚香役の女性には「あなたは小喬(周愉の奥さん)ですか?」と聞いたところ、「そんなに美人役じゃありません。孫尚香(孫権の妹)です。」という気さくな答えが返ってきました。真夏の閑散期の赤壁古戦場ではこんな記念写真にも応じてくれる気さくなスタッフです。
 でも映画「レッドクリフ」の美男・美女たちをイメージしていると、ちょっとがっかりしてしまうかも知れませんね。


 さて、財神殿での主人公は誰かというと、関羽です。これは赤壁だろうとどこであろうと、中国内で関羽といえば「財神」なのです。中国の殆どどこに行ってもある関帝廟というのは財神関羽を祀る場所です。そして、関羽の両側に義理の息子関平と一の家来周倉がいるのも中国共通です。この三人が赤壁の戦いの後、麦城で孫権軍に破れ最期を遂げるのはご存知の通りです。 
 何故そしていつから関羽が財神、商売の神様になったのでしょうか。関羽はその一生を通じて武勇に優れ忠義を尽くした人物として知られています。明清の時代までは、関羽は武の神様だったようなのですが、この時代の商人たちが関羽の主君に対する忠義に敬服し支配者に対する忠義を示す証として関羽に学ぼうとしたことが、関羽が商売の神様になった謂れだとされています。


 こちらは張飛です。財神殿に張飛が祀られているのは珍しいですね。どちらかというと、張飛は酒飲みで浪費家というイメージが強いですね。


 そして、諸葛孔明まで祀られています。赤壁では拝風殿(武候宮)で諸葛孔明が祀られるのは理解できますが、この財神殿に諸葛孔明がいるのは違和感がありますね。まあ、ここは三国志のテーマパークですから、許してあげましょう。


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三国赤壁古戦場 目次

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神武台と周愉閲兵(孫子の兵法「道天地将法」)   長江と赤壁石刻  呉軍の砦と赤壁塔
諸葛亮が東南の風を祈った拝風台  鳳統がいた鳳雛庵  三国志の英雄たちの彫像


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