アジア写真帳アジア写真帳(中国)赤壁古戦場長江(揚子江)と赤壁石刻

長江と赤壁石刻 -三国赤壁古戦場
(大雨による長江の増水)


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三国赤壁古戦場について


 三国赤壁古戦場は、赤壁の戦いが繰り広げられた赤壁市に作られているテーマパークです。当時の建物や陣地を復元したり、また、三国志の英雄たちの彫像があったりということで、現代的な公園になっています。また、長坂の戦いでの趙雲の働きを実演する「単騎救主」や「空城の計」「周愉の閲兵」など様々な演出があって、こうした演技もテーマパークらしい演出です。(演技の内容は時期によって変わるようです。最新の情報は三国赤壁古戦場のホームページ(中国語)をご覧ください。また、演技の時間は同ホームページの中の演出項目表をご覧ください。)
 三国赤壁古戦場には、以上の通り見る所がいろいろあるのですが、最大の見所というと、やはり赤壁石刻(「赤壁」と書いた赤い文字)と長江の眺めになるのでしょうか。

 私たち日本人からすると、赤壁に来て長江の広さを改めて知って、ここから対岸の烏林の曹操軍では、龐統が船酔いを防止するには船をつなぐのが良いなどと火攻めしやすくするための献策を巧みに仕掛けたとか、黄蓋が投降すると見せかけて烏林の曹操軍に向けて船を突っ込ませたんだな、とか、そんなことに思いを致せることが、わざわざ赤壁まで来る目的なのでしょうか。
 実は、私が赤壁に来たのも、とにかく赤壁の戦いの現場に行って、赤壁の辺りでの長江の広さを見てみたい、烏林までの距離を見てみたい、といった気持ちからでした。


 赤壁の石刻は赤壁山の西の絶壁に面して書かれていて、「赤壁」の文字の大きさは縦150cm、横104cmです。言い伝えによれば、赤壁の戦いの後、長江沿いの断崖が日に照らされたように真っ赤になるのを見た周愉が、自らの剣で絶壁に「赤壁」と刻んだことが、赤壁石刻の始まりとされています。
 また、赤壁という文字の上に書いてある記号みたいな字は「鸞 」という文字だそうで、道教文字で書かれているそうです。言い伝えられているところによると、唐代の有名な道士が青鸞に乗り全国行脚していた折に赤壁を訪れると、赤壁の戦いで命を落とした何千何万の人々の亡霊がむせび泣く声が川の下から聞こえてきたため、これを鎮めるために「鸞 」という文字を新たに追加して刻んだとされています。
 なお、「鸞 」とは、神霊の精が鳥と化したものだそうですが、鳳凰が歳を経ると鸞になるとの説もあります。要は、赤壁の戦いで命を落とした人々の霊を神の鳥に乗せて長江の中から開放したという話だと思います。


 赤壁石国が彫られている断崖の上には、高さ9.2メートルの巨大な周愉像が建てられています。周愉は三国時代における江東随一の英俊であり、また、「美周郎」とも言われてもいるとおり美男子だったようです。
 上の写真の周愉像の背景に、長江が少し見えますね。このように、赤壁石刻と巨大な周愉像が建つここが三国赤壁古戦場の最大の売り物エリアなのです。


 さて、赤壁古戦場最大の見所である「赤壁石刻」(長江沿いの岩に赤で書かれた「赤壁」の文字)ですが、長江の水位によって、この赤壁の文字が見えないときもあります。逆に上の写真のように、水位が下がってしまっているときもあります。
 実際の赤壁の戦いは冬に行われています。地元の人に聞くと、冬は長江の水位がかなり低くなるようです。上の写真のような感じでしょうか。長江がこのような水位にあるときに赤壁の戦いが繰り広げられたのです。


 ところが、私が行った2012年の夏は、四川省方面等での大雨で、長江上流の三峡ダムが一杯になってしまったため、三峡ダムを建設して以来、最大量の水を放水していたことなどから、この「赤壁」の文字が見えないどころか、赤壁付近の長江は危険水位を上回り洪水警報が出されていた時期にあたっていて、残念ながら「赤壁」の石刻は川の水の中に隠されてしまっていました。
 長江流域の平地は、上の写真のようにかなり浸水していました。赤壁のある湖北省に大雨が降ったのではなく、はるか遠くの四川省の大雨が下流にある赤壁に大洪水をもたらしていたのです。




 呉の水軍の砦です。三国赤壁古戦場のホームページから転載させてもらっています。
 30万の兵力を有する曹操軍を長江対岸の烏林に見ながら、わずか3万の孫権・劉備軍の兵士は何を思っていたのでしょうか。しかも、対岸の烏林からは毎晩のように歌や踊りで騒いでいる様子が伺え、曹操軍がいつ攻めてくるのか、また、それが自分が生涯を終えるときではないか、などと不安になっていたのではないでしょうか。
 このエリアは長江の河川敷に作られた呉の水軍の砦を再現していて、質素な布張りのテントと申し訳程度の防護柵があるだけという簡素な造りです。ここで戦いのときを待っていた兵士たちの不安な気持ちを肌で味わえるエリアなのです。


 しかしながら、その呉の水軍の砦も、上の写真の通り長江の増水で水没していて、残念ながら呉軍兵士の気持ちを体感することはできませんでした。

 せっかく赤壁まで来るのであれば季節を考えないといけないということを、つくづく感じた次第です。真夏の季節ですと、暑すぎて広い園内を回るにも苦労するということが一点、さらに時期が悪いと長江の水位が上がってしまって赤壁の文字が水没してしまう恐れがあるというのがもう一点です。
 呉の水軍の砦まで水没してしまうことは、いくらなんでも普通はありえないことなので、そこまで心配する必要はないものの、この赤壁古戦場に行くなら春か秋のシーズンが良いと思います。赤壁への行き方のページでも説明している通り、武漢発の格安日帰りツアーも春や秋であれば実施されていますので、赤壁へのアクセスを考えてもシーズンを考えた方が良いと思うのです。


 赤壁古戦場から見る長江(揚子江)です。増水していますから、かなり広い川に見えます。広いとは言っても、この対岸に曹操軍の大量の水軍が陣を張っている姿を想像すると、かなりの威圧感が感じられたのではないでしょうか。
 赤壁の戦いのあった時代と今とでは長江の流れは変わっているのでしょうが、せっかく赤壁まで来たのですから、「黄蓋が投降すると見せかけて、ここから対岸の烏林の曹操軍に近づき、火をかけた船を突っ込ませたんだなあ」「対岸に着くまで相当の時間がかかりそうなので、周愉や諸葛孔明は偽の投降が曹操に見破られないか、さぞ不安だっただろうなあ」などと思いをめぐらすことが、赤壁旅行の楽しみ方なのではないでしょうか。


 赤壁石刻こそ見ることができませんでしたが、雄大な長江の流れを見て、遠い過去に繰り広げられた赤壁の戦いに思いをいたすことが出来ました。
 赤壁古戦場は武漢から日帰りで行くしかない場所にありますので、確かに日本からは行きにくいスポットではありますが、三国志に興味のある方であれば、それなりに印象深い旅になることは間違いありません。赤壁への行き方のページも参考にして、計画を立てられたらいかがでしょうか。

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三国赤壁古戦場 目次

トップページ

赤壁の戦い、三国赤壁古戦場とは
赤壁古戦場への行き方
神武台と周愉閲兵(孫子の兵法「道天地将法」)
長江と赤壁石刻  呉軍の砦と赤壁塔
諸葛亮が東南の風を祈った拝風台
鳳統がいた鳳雛庵  三国志の英雄たちの彫像

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