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龐統が住んでいた鳳雛庵(三国赤壁古戦場)


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 赤壁は長江の河辺ですが、赤壁山、南屏山、金鸞山という3つの山が連なるところです。孫権・劉備軍が長江対岸から押し寄せる曹操軍に対峙し陣を張るのに適した地形だったのでしょう。
 後に蜀の軍師中郎将となる龐統は、赤壁の戦いの頃は孫権軍の顧問的な役割にあって、孫権軍の一員であったとされています。とは言え、孫権軍に属しているわけではないので、陣中に起居せずに、孫権・劉備軍から距離を置いた金鸞山中腹に居を構えていたのです。鳳雛とは龐統のことを指します。
 龐統が劉備の軍師になるのは、赤壁の戦いよりもずっと後です。


 赤壁の戦いにおける龐統の功績は、周愉と謀って「連環の計」を曹操に具申し、火攻めを成功させるための条件を整えたことにあります。龐統の「連環の計」で、曹操軍が船をつなぎ合わせてしまっていたからこそ、曹操軍は船火災の延焼を防止することができなかったのですから、赤壁の戦いにおける龐統の功績は大きいといえます。
 すなわち龐統は、疫病や船酔い対策に苦慮する曹操軍に対して、船を鎖でつなぎ合わせれば船の揺れも収まり病人も減るので孫権・劉備軍に対して戦いを仕掛けられる、と偽の献策を行ったわけです。




 上の写真は鳳雛庵に安置されている龐統の像です。

 では、ここで二つの疑問が出てきます。一つは、何故龐統は顧問的存在の中で孫権軍のために危険な役割を買って出たのかということ、二つ目は、曹操は何故龐統の偽の献策(具申)に気づかずに「連環の計」に引っかかってしまったのかということです。
 諸説いろいろあるでしょうが、私としては次のように考えています。
 一つ目の疑問に簡単に答えるならば、龐統の生まれは襄陽です。赤壁の戦いというのは北から来た曹操軍と南(江南地域)を治める孫権との戦いという図式で考えることも出来ます。曹操軍が勝てば江南地区での殺戮も考えられたでしょう。南の人間である龐統が、北から来た曹操に組みするよりも、地元の周愉(孫権軍)に味方するのはごく自然なのです。また、もちろん、周愉との間で大きな成功報酬なども話し合いされていたに違いありません。
 二つ目の疑問は、人材好きの曹操の悪い癖が出たということではないでしょうか。曹操は有能な人材を欲する気持ちが誰よりも強いといわれています。確かに有能な人材が曹操のもとに集まってきていたことも事実です。龐統については、曹操もその優秀さを徐庶(赤壁の戦いの時点で既に曹操軍に属していました)から聞いていたでしょうから、喉から手が出るほど欲しかったのではないかと想像されます。龐統欲しさに目がくらんで龐統の計略が見えなくなってしまったとも言えますし、また自分の周りに優秀な人材が集まってきたという驕りの気持ちもあったと思われます。


 赤壁の戦い後の龐統ですが、これだけ大きな功績があったのですから孫権軍に迎えられても良いのですが、孫権が龐統の風貌を好まなかったため、引き続き浪人をすることになってしまったようです。鳳雛庵にある龐統像は、写真の通り可愛らしいのですが、‥‥。


 一方、劉備は荊州における著名な学者である司馬徽(「水鏡先生」ともいわれていました。)から 「伏龍、鳳雛,兩人得一,可安天下」(臥龍と鳳雛の両人を得れば天下を治めることもできる)と聞いてはいたものの、この赤壁の戦いの頃は鳳雛が龐統を指していたとは知らなかったようです。
 因みに、司馬徽(水鏡先生)の使った言葉を解説すると、「臥龍(がりゅう、伏龍ともいいます)」とは、天に昇る前に待機している龍のことですから、自分の出番を待ち、伏している人材を言い、諸葛孔明を指しています。「鳳雛(ほうすう)」とは不死鳥である鳳凰(ほうおう)の雛のことですから、才能を眠らせているが、一度羽ばたきだすと大変な力を発揮する若手人材を言い、龐統を指しています。
 上の写真は、三国赤壁古戦場にある司馬徽(水鏡先生)の彫像です。


 その後、龐統は劉備に迎えられ、諸葛孔明とともに軍師として力を発揮しますが、益州攻めの際、雒城をめぐる戦いで、流れ矢に当たり戦死してしまいます。享年36歳という若さでした。一説によると、劉備から贈られた白馬に乗っていたため劉備と間違えられて大量の矢を浴びせられたともされています。
 一族である劉璋が統治する益州攻めについて劉備が逡巡しているのに対し、龐統は「益州を奪ったと言われても、正しい方法で統治し道義を持って益州の人々に報いれば、信義に背くことはありません」と諌め、益州攻めを決断させるなど、軍師として大きな役割を果たしました。 
 もし、雒城をめぐる戦いで龐統を失わずに、劉備が鳳雛,両人を軍師として従え続けていれば、ひょっとして蜀が三国を統一していたかもしれません。


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