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孔明が東南の風を祈った拝風台(三国赤壁古戦場)


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拝風台(武候宮)


  赤壁の戦いにおける孫権・劉備軍の勝因にはいくつかあります。そのなかで、私が特に重要だと思っているのは、次の三点です。
 まず、最大の勝因は「火攻め」という手段を選択し、赤壁から烏林への追い風となる東風が吹く日をじっと待ったということです。ここで諸葛亮が赤壁にある南屏山で、東南の風が吹くよう祈ったという話が三国志の中に出てきますが、中国の「三国演義」の中でもこの記載があるそうです。上の写真は、赤壁古戦場の中にある赤壁大戦陳列館(博物館)に掲示されていたものですが、ここでも天文学と地理に通じていた諸葛亮は冬至の前に東南の風が吹く日があることは知っていたと解説されています。



 諸葛亮が東南の風が吹くのを祈ったその南屏山の場所には、上の写真のような建物が建てられていて祈った場所自体の跡はありません。ただ、この建物には拝風台という名が付けられています。また、建物の中は武候宮(「武候」とは諸葛亮のこと。)となっていて、諸葛亮が祀られています。三国志ファンとしては、諸葛亮が東南の風を祈ったという台を再現しておいて欲しかったなと思います。


 一番上の写真からは分かりづらいのですが、武候宮は奥行きのある建物で、写真の入口をくぐると正面に、すぐ上の諸葛孔明の壁画が飾られています。建物奥には、劉備、関羽、張飛の三義兄弟と諸葛孔明の彫像があり、手前は赤壁の戦いなどに関する絵や貴重な出土文物が展示されています。




 南屏山の拝風台に建てられている武候宮は諸葛孔明を祀る祠ですから、線香をあげることができるようになっています。私が行った真夏は暑すぎて観光客が殆ど来ない時期にあたりますので、地元の方が線香をあげるくらいでしたが、旅行シーズンともなると建物内は線香の煙が充満し、それらしい雰囲気が漂うのでしょう。


 劉備、関羽、張飛と諸葛孔明の彫像です。
 赤壁の戦いで勝利を収めた孫権・劉備軍の主力は言うまでもなく孫権軍です。しかしながら、この赤壁古戦場には、劉備軍のヒーロー4人は祀られているのに、孫権や周愉は祀られていません。この背景には、三国演戯という中国で最も読まれている三国志の本自体が、蜀びいきの内容になっていて、中国においても日本と同様に蜀びいきの人が多いからに違いありません。


 その武候宮に飾られている絵の中の一枚に、諸葛亮と魯粛が藁葺きの船で長江を烏林の曹操軍陣地の方へ趣き、10万本の矢を手に入れたという逸話がありました。これも中国でも有名な話なんだなと思うと、なんだか嬉しくなってしまいました。この10万本の矢も、孫権・劉備軍の勝利に大いに貢献したのは間違いありません。
 三国演義の中でこのくだりは、周愉という将軍は知恵と勇気をともに備えてはいるものの、度量が狭くて、諸葛孔明の才能に嫉妬するなかで出された諸葛孔明への難癖として、描かれています。水上船では矢は欠かせない武器です。周愉はこれを10日以内に10万本欲しいという話を諸葛孔明に持ちかけるわけです。これに対して諸葛孔明は応諾する一方で、状況を探りに来た魯粛に20隻の船と一隻あたり30人の下士官を手配してもらうように依頼するとともに、船の周りを藁で保護したわけです。
 映画レッドクリフでも、これらの船が横一列に並び片側が矢で埋まると、反対向きに並んで反対側にも矢を受ける場面がありましたが、中国の三国演義の中でもこうした状況が描かれているようです。
 諸葛孔明に対する周愉の妬みはこの一件によりますます強まり、その後も諸葛孔明を倒すべく執拗に策を講じる周愉の様子が三国演義の中で描かれています。日本の三国志に関する小説も同じような展開ですね。

 



 これは、長坂の戦いで橋の上に一人仁王立ちして曹操軍の進軍を止めている張飛の絵です。長坂の戦いには二つの大きなエピソードがあります。一つは、趙雲が劉備の妻子を曹操軍の中に単騎で討ち入り、劉備の嫡子、阿斗(後の劉禅)を救い出す話で、もう一つがこの長坂橋での張飛の奮戦です。これら二つのエピソードは、中国でも大人気の場面ですからレッドクリフの第一部ではクライマックスとして描かれていました。もちろん、こうした状況を作り出したのは、劉備を慕ってついてきてしまった領民たちを保護するために逃避行のスピードを落とした劉備の対応にあるわけですが、こうした劉備の領民思いの決断に対しても中国人は拍手喝采なのです。


 拝風台がある南屏山を下りると、「諸葛連弩」と書いた砦が見えてきます。連弩は機械仕掛けで同時に数本の矢を発射できる中国古来の武器で、諸葛孔明がその技術を発展させ、より強力な武器にしたといわれています。諸葛孔明が手を加えたのは、弓の威力や到達距離と連弩の可動性だったといわれています。


 上の写真が当時の連弩の模型です。弩はもともと弾倉に入っている矢を一本ずつ撃ち出す武器なのですが、諸葛孔明は同時に複数の矢を撃ち出せるように設計を変えたそうです。この武候宮に書いてある説明では、15秒に10本の矢を撃ち出せるようになっていたそうです。この工夫により、弩は連弩として画期的に効果的な飛び道具になったわけです。


 「諸葛連弩」と書いた砦の横を通り過ぎていくと、いよいよ長江(揚子江)が姿を現します。広いですね。
 赤壁の戦いのあった時代と今とでは長江の流れは変わっているのでしょうが、せっかく赤壁まで来たのですから、「黄蓋が投降すると見せかけて、ここから対岸の烏林の曹操軍に近づき、火をかけた船を突っ込ませたんだなあ」「対岸に着くまで相当の時間がかかりそうなので、周愉や諸葛孔明は偽の投降が曹操に見破られないか、さぞ不安だっただろうなあ」などと思いをめぐらすことが、赤壁旅行の楽しみ方なのではないでしょうか。


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