揚州・痩西湖の白塔と鳧荘|アジア写真帳(揚州)

(2015年4月5日以来)

揚州・痩西湖:白塔と鳧荘YANGZHOU

 痩西湖の白塔


 痩西湖最大の見所は五亭橋です。五亭橋は、清の乾隆帝の6回目の南巡(中国江南地方への行幸)の際に、当時清国内での塩の権益を一手に掌握していた揚州の塩商人と塩役人たち(塩は国の専売であり、価格や流通量などは国によって統制されていた)が、乾隆帝に今後とも揚州を訪れてもらいたいという意図から、揚州をアピールするために建造されたものです。

 乾隆帝到着の夜に、塩商人たちは早速五亭橋を見せたそうです。五亭橋を見た乾隆帝からの「ここに北京の北海公園にあるような白塔があれば満点なのだが、……」との感想に対し、塩商人の代表が「もちろん、ございますとも。ただ、今は夜でございますのでご覧に入れることができません。明日の朝、ご案内申し上げます。」と咄嗟に口からでまかせを言ったことに端を発して、白塔が建造されているそうです。
 本当に上のような会話があったかどうかも疑わしいですが、その後の話はもっと胡散臭い(うさんくさい)ものです。早速、その場しのぎに口からでまかせで出た白塔を、明日までにどのように作るかが、塩商人・役人間で議論されたそうです。白塔の話がうそとばれてしまえば、揚州の塩の権益が失われてしまうかもしれないとの危機感の中で、ある商人が「それなら塩を積んで塩で塔を作れば、乾隆帝の揚州滞在期間は崩れないで済むのではないか」との意見を出し、結局、その晩、突貫工事で塩の塔を作り、翌朝、乾隆帝のご覧に入れたという話です。乾隆帝はその塔をご覧になり「見事な輝きを持つ白塔なり」と言ったとか、言わないとかの話です。この「一夜にして塔を作り上げた」話は、中国人の間ではよく知られた話です。
 今の白塔は、もちらん、塩製ではなく、建てかえられたものです。


 白塔へは、五亭橋から鳧荘(ふそう)方向に少し戻ったところから階段で登ります。6角形の洞門の先に白塔が建てられているようです。北海公園の白塔は山の上に建てられていますから、これを真似て山の上に建てたかったのでしょうが、あいにく五亭橋のすぐ近くには山がありません。そこで、ちょっとした丘の上に建てたのでしょう。


 白塔です。一般的にこうした塔が建てられるのは宗教的な意味合いが何かあるものですが、前述の通り、この白塔建設は単に乾隆帝の好みに合うように建てただけのものですから、何ら宗教的な意味合いはありません。また、なぜ白い塔なのかと言うと、北海公園を真似しただけであり、また、最初は塩で作られた(これは真偽のほどは分かりません)というだけの話です。
 とは言え、高さ27.5mの立派な塔です。

 



 痩西湖の景観を語るうえでこの白塔の存在が欠かせないのは、釣魚台からの眺めです。白塔から五亭橋までを一望すると、上の写真のように見事な風景になります。この風景は、風光明媚な痩西湖の中でも最も秀麗なものだと思います。
 白塔と五亭橋の間にある建物は鳧荘という建物で、水上に建てられた宴会場です。よくよく上の写真を見ると、もし鳧荘がなければ、二つの建造物の間が空き過ぎてちょっと間の抜けた風景になってしまうのですが、鳧荘があることで締まった景観になっているような気がします。
 このページではこの後、鳧荘を紹介するつもりですが、その前に、少し、白塔の裏の自然な風景をご紹介しましょう。


 痩西湖はとにかく広い敷地に数々のスポットがあって、そのスポットをくまなく回るだけで満足してしまいがちですが、観光客があまり足を踏み入れない裏道沿いも、かつての揚州、かつての中国江南地域の自然を感じさせるような、のどかな景観が広がっています。
 白塔周辺の裏道を歩いてみると、そんな自然な風景が広がっています。


 中国江南地域は湖沼や河川が多く、有史以来、主たる交通手段は舟でした。「江南」といえば「水上交通」が発達した地域で、三国志の孫権も最強の水軍を誇っていたわけです。上の写真のような小川を見ても、そんなかつての江南地域を見るような気がするのです。


 実は、白塔から山の中を抜ける裏道を歩くと、上の写真の長堤春柳に出ることができます。本来、痩西湖を観光するときは、乾隆帝が辿ったであろう、正門→長堤春柳→徐園→小金山→釣魚台→鳧荘→五亭橋、というゴールデンコースを進むべきなのですが、私は宿泊したホテルに近い東門から入ったものですから、東門→二十四橋→五亭橋→白塔、という順に回り、白塔から春柳長堤に出たわけです。
 春柳長堤から小金山までと釣魚台については別のページで紹介することにして、このページでは釣魚台からの景観で重要な役割を果たしている鳧荘を紹介したいと思います。



 

痩西湖の鳧荘(ふそう) 


 五亭橋から見た鳧荘(ふそう)です。痩西湖の水上に建てられた建物で宴会の場所として使われていたようです。四面を水に囲まれた環境で、目の前には五亭橋が架かっているわけです。

 鳧荘への入口、すなわち曲橋の手前から見る鳧荘です。鳧荘の奥に五亭橋が見えます。日本でも料亭などの前に石で看板が立てられているのを見ますが、そのスタイルは中国から来たようです。


 鳧荘に続く曲橋です。岸から鳧荘へ行く唯一の手段がこの曲橋です。橋の上を曲がるたびに、五亭橋が見え隠れし、かつ、だんだんと近づいていくという設定です。なかなか心憎い設計です。


 鳧荘から仰ぎ見る五亭橋です。写真にしてしまうとその迫力が分かりづらいのですが、これだけ間近に五亭橋が見えると、それはもう圧巻の風景です。


 鳧荘はその周りを回廊が巡っていて、痩西湖の様々な景観を楽しむことができるようになっています。酒を飲み美食を味わい、恐らくは美女をはべらせ、そして痩西湖の景観を楽しむという、まさに夢のような宴会場が鳧荘なのです。
 上の写真は、鳧荘の奥に続く亭から見る五亭橋と鳧荘の回廊です。このあたりの雰囲気も私は好きです。


 鳧荘から釣魚台や小金山を見たところです。
 左の黄土色の建物が釣魚台、右奥に見える赤い橋が小金山の入口です。森に囲まれた痩西湖は、実際以上の奥行きを感じさせます。