清代の街並みが残る揚州の東関街|アジア写真帳(揚州)

(2015年4月5日以来)

清代の街並みが残る揚州の東関街YANGZHOU


 清代の揚州を再現した東関街


 東関街は清代の揚州を再現した全長の1,122mの通りで、最近、観光地として整備された地域です。蘇州の山塘街杭州の河坊街(清河坊)などと同じく、観光客向けのお土産店が並ぶ商店街です。
 清代の揚州は、国の専売品である塩の流通を一手に握り富を集中していましたが、豪華な庭園も数多く造られる(戦火で今はその殆どが消失しています。)など、揚州の街は清国で最も賑わった都市の一つでした。その清代において、東関街は揚州の商業の中心地であった地域で、これを再現したことになります。
 上の写真は、東関街の東端にある東門付近の様子です。東門はかつての揚州城の門の一つです。なお、東関街は双東歴史街区とも言われています。


 写真左の狛犬のある入口が長楽客桟(長楽ホテル)で、清代の建物を当時のままに内装を施し、当時の調度品も置いてホテルにしています。もともとは李長楽という人の屋敷だったところで、庭園も整備されています。長楽客桟(長楽ホテル)にいると、清の時代にタイムスリップしたかのようです。揚州に来たらこのホテルに泊まるのも良いと思います。


 東関街は指定車両以外の通行が禁止されていますので、約5m幅の道路も広々しています。観光客としては自動車の通行を気にせずに安心してショッピングができる通りです。

 

 お店はいろいろあります。東関街に来れば、ないものはないという感じです。
 みやげ物屋としては、やはり三把刀が目に付きます。揚州土産というと、第一に三把刀なのですね。三把刀というのは、包丁、髪切り用の鋏、修脚のセットです。(ここで、修脚とは、足底の角質化した皮膚とか足爪やウオノメとかを薄く削る中国特有の美容法ですが、そのための刃物を言います。)
 この三種類がセットになって売られているものもありますが、バラで買うこともできます。はさみには髪切り用、園芸用やいわゆる文房具用のはさみなど色々ありますし、爪の手入れのセットもデザインや大きさの違う色々な種類があります。見るだけでも楽しいものです。


 こちらは扇子の専門店です。「揚州雅扇」の文字が見えます。揚州の痩西湖が図柄になった扇子なども置いてあります。いかにも中国風の金色の扇子なども色々な図柄があって、見ているだけでも楽しくなります。置物として買っていくには良いと思います。
 私は杭州の王星記の扇子を愛用していますが、少し大きめなので節電が求められるこの頃にあっては大変有効です。皆さんも、中国扇子を使ってみましょう。


 こちらは陶器の専門店です。陶器と言っても景徳鎮などの美術品を取り扱う店です。目の保養に店の中を見せてもらいましたけれども、入口の壁沿いに置かれている景徳鎮などは美術館においても良さそうな見事なものです。


 こちらは造り酒屋だろうと思います。おそらくは黄酒(紹興酒のような酒)を飲ませてくれる店です。昼間からは飲む気はないものですから、パスしました。東関街は夜になるとイルミネーションで美しく飾られます。そんな夜の東関街を歩きながら、こうした店で本場の中国酒を飲んで一服するのも良いかもしれません。


 こちらは書画を制作・販売している店です。中国らしい書画が多く私の興味を惹きましたが、おじさんの愛想が余り良くなかったので長居をしませんでした。私の中国語が下手すぎて嫌われたのかもしれません。


 こちらは、ひょうたんの製造・販売店です。ひょうたんは、日本においては水筒、酒器、調味料入れなどの容器に加工されることが多いのですが、店に並べられている商品を見ると、中国においてもそれは同様のようです。


 お店の人に聞いたら、これらのひょうたんはお守りだそうです。荷物にならないし廉価でしたので、いくつか土産に買ってみました。


 この東関街は、どちらかというと中国伝統の品々を売っている店が多いのですが、上の写真のようなファッションの店もありました。でも、上海あたりに比べても、どうでしょうか、垢抜けないデザインですね。


 こちらは甘いもの屋さんです。ひっきりなしにお客さんが入っていくのを見ると、揚州の人気店なのでしょう。こういった小吃店も、東関街のあちこちにあります。今度また揚州に行く機会があったら、いくつか小吃店に入って味を確かめてきたいと思います。



 土産店やB級グルメの店が建ち並ぶ


 ここは、牛肉湯を食べさせてくれる店ですが、黒板に書かれているメニューを見ると、蛋炒飯(玉子チャーハン)という文字も見えます。蛋炒飯(玉子チャーハン)とは、すなわち揚州炒飯のことで、中国で最もポピュラーなチャーハンです。日本のチャーハンの原型もこの揚州炒飯だと私は思います。揚州炒飯は、冶春茶社で食べたばかりでしたので、ここはパスしました。


 こちらは湯円屋です。湯円はピンポン玉サイズの団子で熱いスープで茹でられたものです。湯円は一家団らん、家族円満という願いを込めて元宵節(旧暦1月15日)には家族揃って食べる縁起物の食べ物でもあります。中国語では「湯円」と「団元(円満という意味です)」の発音が似ていますので、年の初めにその年の家族の円満を祈念して食べるのです。
 ちょっとしてデザートとして食べても美味しいですよ。


 あちこちの店を冷やかしながら東関街を歩いていくと、大きな城門が見えてきます。これが東門で、東関街の東の端になります。


 揚州は揚子江と京杭運河が交わる交通の要衝で、戦争になると水路を確保し戦争を有利に運ぶためには揚州の確保が欠かせないものとなります。したがって、揚州は国を分ける戦争に必ず巻き込まれてしまう運命にありますが、揚州は周りに山がないため、守りづらい街でもあります。運河と城壁だけが揚州の街を守るための防衛線だったわけです。
 清の時代にも栄華を極めた揚州は、太平天国の乱や辛亥革命、国共内戦などで当時の街並みを殆ど失ってしまいましたが、ここ東関街にそれを再現し、城壁・城門もこの東門として再現したわけです。




 さて、東関街の東端から来た道を戻ります。1km以上ありますし、途中の店を冷やかしたりしていたのでちょっと小腹が空きました。そこで見つけたのがお菓子屋さんです。月餅という字が見えます。


 お店では若いお姐さんが店先でお菓子を作っています。結構手馴れた手さばきで次から次へとお菓子を作り上げていきます。作りたてのお菓子ですから、美味しいに違いありません。小豆入りのお菓子を購入しました。


 出来立てのお菓子はまだ暖かく旨いです。結局、一度に3つも食べてしまいました。作りたてのお菓子が食べられるなんて、清の時代の東関街でも存在していたサービスなんでしょうか。


 さて、東関街の歴史街区は、東門が東端になりますが、国慶路が西端になります。
 歴史街区から国慶路を挟んでさらにすすむと、そこは揚州市民のための活気ある商店街です。私としては、実は作られた歴史街区よりも、こういった地元の活気がそのまま伝わる商店街の方が好きなんです。添福楼、天福楼菜館などなどレストランが並び、道端には屋台も出て美味しそうな湯気を立てています。


 まずは美味しそうな匂いを出している屋台です。油条かなと思っていたのですが、油条にしては随分と太いですね。
 実は、一つ上の写真の麻油饊を揚げているところです。麻油饊とは、一般的に饊子(サンズ)と言われている食べ物で、小麦粉をこねて細く伸ばし何本かよりあわせて油で揚げたもので、それをこの店では麻油で揚げているわけです。饊子は、そのまま小吃として食べることもありますし、スープに入れて柔らかくして食べる方法もあるそうで、中国人の生活には欠かせない食べ物の一つだそうです。こういう生活観のある屋台が私は好きです。


 こちらでは点心が売られています。揚州では、富春茶社や冶春茶社、冶春花園といった茶館やレストランで大変おいしい点心が食べられるのですが、ここではテイクアウトで点心を買うことができます。
 写真では字が小さくて読めなくなっていますが、蟹黄湯包1篭15元、蟹黄三丁包1個5元、三丁包1個2元、小龍湯包1篭6元などとなっています。(2011年5月)
 点心好きの私としては、実はこういう店の味も確かめたくて買いたいのですが、それこそ、富春茶社でお腹がいっぱいになるまで食べた直後だったので、さすがにパスしました。


 このレストランでは、店の外にテーブルを出し、外で食事ができるようになっています。朝8時過ぎでしたので今は朝食の時間です。粥や麺を食べている人が多いようです。
 この店のご自慢は旗が立っているように、鴨血粉絲です。鴨血粉絲は鴨の血や内臓などが入ったスープに春雨のような麺が入ったもので、名前は気持ち悪いのですが、以前食べたときは結構美味しく食べられました。貧血防止に良いとの話も聞いていますが、毎日のように食べてはいけないとも言われました。
 歴史街区の東関街よりこっちのほうが私にとってはエキサイティングです。


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