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台北の美味しいグルメを
写真とともに紹介

 

アジアグルメ図鑑(台北)

平渓線終着駅、菁桐に古き良き時代の日本を見た


菁桐駅とその周辺

 瑞芳から平渓線に乗り換えると、ディーゼル列車は終着駅の菁桐(ジントン)まで、約一時間の旅です。十分瀑布がある途中の十分駅で降りてしまう人が多いのですが、十分周辺の観光の後菁桐まで平渓線の旅をする人も少なくありません。十分駅が平渓線の大体真ん中あたりですので、瑞芳・十分間も、十分・菁桐間もどちらも30分弱くらいの距離です。
 平渓線は日本統治の時代に、石炭の炭鉱から石炭を運んだり、炭坑労働者の交通の便として敷設されたもので、今も日本の列車が使われています。菁桐駅は平渓線の終着駅で、かつては炭鉱の町として栄えたところです。
平渓線の終点、菁桐駅
 菁桐駅は列車の終点ですから、全員が列車から降ります。台湾の人は、若い子も年配の人も写真を撮るのが好きなので、さっそくあちこちで写真撮影が始まっています。
平渓線の終点、菁桐駅駅舎は日本の駅舎のよう
 菁桐駅は、日本統治の1929年に建てられた木造の駅舎が現在も使用されています。台湾の史跡の一つとして丁寧に保存されているそうです。私が若いころは、こうしたデザインの駅を日本で沢山見たものです。今では日本の都市部では全く見られなくなりましたし、地方で見ることがあってもこれほど保存状態は良くありません。日本の良いものがどんどんなくなって、台湾でしか見られないというのは少し寂しいですね。
平渓線の終点、菁桐駅駅舎
 上の写真は駅舎をホーム側から見たものです。この屋根を見てください。日本の屋根を見ているかのようではありませんか。そして瓦が一つも破損なく、見事に葺かれています。菁桐に炭坑があった時代そのままに、ここ菁桐駅の駅舎は保存されているようです。
平渓線の終点、菁桐駅
  そして、ホームの端から見たこの風景も、日本の山の中の駅そのままです。往時の菁桐駅には、ここに石炭を運搬する貨車が何両も連結されて並んでいたのでしょう。平渓線は単線ですけれども、この駅だけは列車が三編成か四編成停まれるようになっています。かなりの量の石炭がこの駅から運び出されていたであろうことを容易に想像できます。
平渓線の終点、菁桐駅
 プラットホームに沿って建てられている建物には平渓線沿線の見どころについての広告が出ています。上の写真は十分駅の広告です。ランタン上げで有名な十分は幸福の街として売り出していて、それをイメージした広告です。 
平渓線の終点、菁桐駅の看板
 上の写真は猴硐駅をイメージしているのだと思います。平渓線の猴硐駅周辺はもともと猫の多い街だったそうですが、過疎化により人口減少がすすむなか、地域再興の夢をかけて猫の街を立ち上げたところ、猫好きの人たちで賑わいを取り戻しつつあります。日本からも猫好きな人がここをよく訪れているそうです。



菁桐老街で蚵仔煎(牡蠣のお好み焼き)など台湾B級グルメを堪能

 この日は朝台北を出て、十分に立ち寄り観光した後に菁桐に来ました。菁桐の観光を終えたら九份へ行く予定です。駅前の九份老街をぶらぶらしながらランチを食べる場所を探しましょう。
 でも、最初に見つけてしまったのが上の写真の鉄道故事館。故事館と書いてあるから博物館みたいなものかと思いましたけれども、鉄道関係のグッズを売っている商店です。鉄道好きな方にはひょっとしたらお宝があるのかも知れません。
菁桐老街(台湾)
 私が目を惹かれたのは「マルサ石鹸」の看板でした。マルサ石鹸って聞いたことないですね。どこか今ある会社の前身かとも思って調べてみたのですが、それもないようです。もしそうであれば買ってしまうところでした。古き良き時代の日本がここ菁桐にはあるのです。
菁桐老街(台湾・平渓線)
 ちょうど12時頃の菁桐駅前に続く菁桐老街の賑わいです。小雨の降る決して良い天気ではない日でしたが、土曜日ということもあり沢山の観光客で賑わっていました。若い人たちが多いのに驚きます。こうした古い街が台湾の若い人を惹きつける魅力って何なのでしょうか。日本のいわゆる小京都のような観光地に行くと、目立つのは年輩の観光客です。
 日本の鄙びた観光地も台湾の人たち向けにもっと情報を発信すれば、台湾の若い観光客が集まるかもしれないですね。
  菁桐老街というのは駅前に50mほどしか続かない小さい街です。それでもさすがに台湾です。食べ物屋さんはいろいろ見つかります。これだけの人で賑わっていると、明るいうちに夜市に紛れ込んでしまったような感覚に襲われます。
 上の写真は、右側が麺類の店、左側がチキンロールとご飯類のお店、どちらも興味がないわけではありませんが、もう少しランチの場所を探してみましょう。
台湾・平渓線、菁桐老街
  そこで見つけたのは「蚵仔煎」の看板です。そういえば今回の台湾旅行で蚵仔煎(牡蠣のお好み焼き)を食べてないなんてことも思い出しまして、この日のランチ場所として一番手の候補としてノミネートです。観光地の食堂ですから、そんなに美味しいものを求めるのは酷です。普通の台湾の味であれば合格です。

  とは言え、蚵仔煎(牡蠣のお好み焼き)だけのランチでは寂しいですから、他にどんな料理があるのか見てみましょう。
 すると、親切にも店頭にメニューが大きな字で出ていました。なるほど、魯肉飯もあるし、青菜炒めもあるし、ビーフンもある。メニューが比較的多岐にわたっているようです。これなら合格です。メニューの隙間から見える厨房の様子も、手際良く調理しているようで好感が持てます。今日のランチはここ、陳記蚵仔煎に決めました。
菁桐老街で食べた蚵仔煎(牡蠣のお好み焼き)
 まあ、当然と言えば当然ですが、まず蚵仔煎(牡蠣のお好み焼き)をいただきます。例によって牡蠣は小振りながらも牡蠣の香りが強くて、蚵仔煎に万遍なく広がっています。そして蚵仔煎自体の焼き具合も、焼き過ぎないプヨプヨした食感です。ソースの味が私としては少し濃い感じはしましたが、全体評価としては○(マル)です。美味しいです。

  臭豆腐はないというので、代わりに揚げ豆腐です。「臭豆腐はないけど、豆腐はうちの自慢料理だ。食べないと後悔するよ」などということを店の主人が言うだけあって確かに美味いです。豆腐自体が美味しいのでしょう。加えて、揚げ具合もサッパリしていて見た目とはかなり違います。料理が運ばれてきたときは、油こくって一人で全部は食べられないのではなどと心配しましたが、何のことはない、最初に食べ終わったのが豆腐です。それほど美味しかったのです。
  そして焼きそばです。ビーフンがおすすめだと言われましたが、今日の気分は中華麺でしたので敢えて焼きそばを注文しました。焼きそばという単純なメニューですが、小さなエビがすごい存在感を見せている盛り付けです。ここの主人、美的センスあるね。
 味は普通です。特に美味しいということはないです。逆に美味しくないわけでもなく、敢えて言えば想像していた通りの味です。ちょっと酢をかけて食べると、とても美味しくいただけました。
  手際よく次々と料理を仕上げる陳記蚵仔煎のご主人。江戸っ子みたいにキップが良くて、これまた、昭和の日本を見るような気持ちです。台湾の家庭料理を堪能させてくれました。上出来でした。



 許願筒(願い事を書いた竹筒)のある風景

  平渓線では、十分が天燈(ランタン)上げで有名ですが、菁桐は許願筒でよく知られています。私がランチを食べた陳記蚵仔煎のすぐ先に、許願筒が藤棚のようにぶら下がっている場所があります。上の写真で二人の若い女性が歩いている上の部分です。
台湾・菁桐の許願筒
 許願筒は竹筒に願い事を書いてぶら下げるもので、日本の絵馬みたいなものだと日本では紹介されていますが、そうではありません。もともと絵馬というのは神に馬を献上する風習が起源で、馬を献上する代わりに馬の絵を描いた絵を奉納することになり、それに神への願いを書くようになったという変遷があります。つまり、絵馬は神への祈願です。
 一方、許願筒は手紙の変形と言われています。もともと菁桐駅の駅員が菁桐老街の氷屋さんの女性店員に恋して、その思いを竹筒に書いて伝えたことから始まっています。この話は台湾ではよく知られているそうで、バレンタインデーの時には竹筒に思いを書いて相手に渡すといったことも台湾では一時あったようです。つまり、許願筒には自分の「思い」を書くのです。心にあるものを明確にするのが許願筒なのです。願い事を書くということは同じであっても、一方は祈願であり、もう一方は決意に近いものと受け止めたら良いでしょう。
 恐らく想像するに、日本をよく知らない台湾の旅行ガイドが言い始めた話がネット上で拡散し、ネットで許願筒を調べると、殆どのサイトやブログでは「許願筒は絵馬みたいなものだ」と書いてあります。また、ひどいものになると「子宝」みたいな話もいくつか出ていますが、どちらも根拠のないものです。
 で、上にあるのが許願筒です。おばあちゃんが健康で長生きしてくれるように」「家族が幸せに生きれるように」とか「痩せられますように」とか書いてあって、願い事には違いありませんが、誰にも祈願していないのです。自分の「思い」を書いているのです。
 因みに、この許願筒というのは、私は菁桐でしか見たことがありません。日本の絵馬は、神社ばかりでなく寺院においても、全国津々浦々で見ることができますね。
  菁桐駅付近から見る山々の風景です。後ほど紹介しますが、今は木々で覆われているこの場所に、かつては炭鉱があり、炭坑労働者の宿舎があったのです。多少見えている建物は当時の建物です。
  それはさておき、一つ上の写真の方向には川が流れその川に橋が架かっているので、その方向へと降りていきましょう。ここにも許願筒がかけられています。
  流れている側は基隆河です。そして、この橋は情人橋(日本語で書くと「恋人橋」)と名づけられていますが、中埔鉄橋という名前が正式だそうです。この恋人橋は、恐らく先に書いた菁桐駅員と菁桐老街の氷屋さんの女性店員との恋の話から名づけられたものだろうと思います。当時、橋の手前には菁桐駅や菁桐老街があり、橋を渡った向こうには炭鉱の宿舎など住宅が並んでいて、恐らくこの二人はこの橋でサヨナラをしていたのだろうと思います。
 場所が悪いのにこんなにも多くの許願筒がかけられていることから考えると、私が想像するに、このカップルはきっと幸せになったのでしょう。
許願筒が並ぶ台湾・菁桐の情人橋
  橋いっぱいに、許願筒がかけられている様子は圧巻です。橋の向こうに見える二階建ての建物は炭鉱の時代の宿舎の一つです。
 菁桐駅からこの情人橋まで歩いて5分ちょっとくらいです。さきほど許願筒の藤棚みたいな場所を紹介しましたが、その場所を通り抜けると右側のがけ下に基隆河が流れていますから、その基隆河に架かっているのが情人橋です。
許願筒(菁桐、情人橋)
  この辺りの竹筒は随分と以前にかけられたものなのか、字の色があせていて、全く見えないものもあります。この許願筒のための竹筒は菁桐老街で売っていますから、それを買って願い事を書いたら、この情人橋まで持ってきて吊るすと良いのではないでしょうか。
 自分の「思い」を許願筒に記して、自分の決意を示してみましょう。
 情人橋(恋人橋)から見た基隆河とその周りの風景です。こちらに見える風景はそんなに感動的ではありませんが、台北から電車で二時間もかからないところに、こんな素朴なエリアがあることに驚いてしまいます。



 菁桐鉱業生活館(博物館)を見学

 さてこのページの冒頭で、平渓線は日本統治の時代に石炭の炭鉱から石炭を運んだり、炭坑労働者の交通の便として敷設されたものだということを紹介しました。その頃の菁桐を知るうえで参考になるのが、菁桐鉱業生活館(博物館)です。上で紹介した陳記蚵仔煎のすぐ近くで線路沿いの方向に入口があります。10分か15分で見ることのできる小さな博物館ですが、当時の菁桐の様子が分かりやすく紹介されているので、ぜひ立ち寄ってみましょう。入場無料です。
 上の写真はこの一帯で採掘された石炭です。菁桐が炭鉱の街であったことを改めて認識させられます。
 そして、採掘の際に使用されていたものの数々も展示されています。
 上の写真は左から、蓄電池、ヘルメット、自動呼吸器、弁当箱と水筒です。当時の炭鉱労働者が利用していたものばかりです。
 上の写真は、当時の菁桐の様子を示す写真です。詳細な説明もついています。もちろん、中国語で書いてありますから分かりづらいかもしれませんが、中国語が理解できない人でも漢字を見ておおよその想像はできるはずです。
 最初にこの博物館に来ていれば、これを写真に撮って、その写真を見ながら菁桐駅周辺を散策することもできました。次回菁桐に来るときは、まずここに立ち寄りたいと思っています。
 一部を拡大してみます。「菁桐車站」は鉄道の駅ですね。 「菁桐鉱業生活館」はこの博物館です。
 鉄道に沿って流れる基隆河にいくつか橋が架かっていますが、博物館の下に見える橋が、上で紹介した情人橋(恋人橋)で、橋を渡ったところに見える建物群が炭鉱関連の建物だったわけです。左側の大きな建物が炭鉱の事務所や工場で、右側の小さな建物群は宿舎でした。情人橋(恋人橋)から見えた建物は、そうした宿舎の一つだったと考えられるわけです。情人橋(恋人橋)の正面の山一帯に炭鉱施設が建ち並んでいたことになります。 
 この炭鉱の歴史なども詳細に紹介されていて、この街の散策のヒントがいろいろと得られるはずです。今は、ネットが普及して、様々な情報を日本語で得ることができるわけですが、ブログ等で紹介されている内容には、誰かが間違って書いた内容がそのまま広がり、あたかも事実のように書かれていることもよくあります。やはりこうした所で、情報を補強することが大切です。

 平渓線は昼間一時間に一本しか列車がありません。私が菁桐に滞在した時間は二時間です。このレトロな街、菁桐を楽しむためには、最低でもこの時間は必要です。
 この日は台北から十分に立ち寄り菁桐に来て、この後九份に行く計画です。菁桐から瑞芳まで平渓線で戻り、瑞芳でバスに乗って九份に行くのです。このルートですと、朝、台北を出て平渓線沿線を観光し、九份を3時くらいから夕方または夜まで観光できる贅沢な観光ができます。私のおすすめ観光ルートです。